第二の作品に比べると、私の意味する第三の作品は何んといふ相違だらう。それは作者の生活がある強い緊張の中にあつたことを十分に感得させる。殊に私は「道」とか「嘘をつく日」とか「輝ける朝」などに感心してしまつた。「道」の如きは、あれ一つだけで仙子氏の藝術家としての存在を十分に可能ならしむるに足ると思ふ。あの無容赦な自己批判、その批判の奧から痛々しく沁み出て來る如何することも出來ない運命の桎梏と複雑な人間性。而してその又奧から滲み出て來る心の美しい飛躍。そこには確かに生命の裏書きのしてある情景がある。それは單なる諦觀ではない。壞れるものを壞し終つた後に嚴然として殘る生活への肯定である。あゝいふ作品を一つ書き上げることがどれ程の痛い體驗と苦悶とを値したか。それは恐らく創作の經驗を有つものがおぼろげながら察し得る境地だらう。「輝ける朝」「嘘をつく日」これらは作者の性格のまがう方なき美しさをはつきりと、而かも何等の矯飾なく暴露してゐる。こんな作を生んで死んで行つたこの若い作者は尊い。あんな涙を心にためてゐながら、うつかり眼に浮かせなかつた程奧行の深かつたその性格は美しい。あすこまで行くと仙子氏は概念
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