しても僕の好きな先生に知られるのがつらかったのです。だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。
 先生は暫《しばら》く僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。生徒達は少し物足らなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。
 先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、僕の肩《かた》の所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」と小さな声で仰《おっしゃ》いました。僕は返したことをしっかり先生に知ってもらいたいので深々と頷《うなず》いて見せました。
「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」
 もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもうたまりませんでした。ぶるぶると震えてしかたがない唇《くちびる》を、噛《か》みしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。
「あなたはもう泣くんじゃない。よく解《わか》った
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