っているのを見ると葉子はもうたまらなくなった。涙がぽろぽろとたわいもなく流れ落ちた。家の中では定子の声がしなかった。葉子は気を落ち着けるために案内を求めずに入り口に立ったまま、そっと垣根《かきね》から庭をのぞいて見ると、日あたりのいい縁側に定子がたった一人《ひとり》、葉子にはしごき帯を長く結んだ後ろ姿を見せて、一心不乱にせっせ[#「せっせ」に傍点]と少しばかりのこわれおもちゃをいじくり回していた。何事にまれ真剣な様子を見せつけられると、――わき目もふらず畑を耕す農夫、踏み切りに立って子を背負ったまま旗をかざす女房《にょうぼう》、汗をしとどにたらしながら坂道に荷車を押す出稼《ともかせ》ぎの夫婦――わけもなく涙につまされる葉子は、定子のそうした姿を一目見たばかりで、人間力ではどうする事もできない悲しい出来事にでも出あったように、しみじみとさびしい心持ちになってしまった。
「定《さあ》ちゃん」
涙を声にしたように葉子は思わず呼んだ。定子がびっくりして後ろを振り向いた時には、葉子は戸をあけて入り口を駆け上がって定子のそばにすり寄っていた。父に似たのだろう痛々しいほど華車《きゃしゃ》作りな定
前へ
次へ
全465ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング