子は、どこにどうしてしまったのか、声も姿も消え果てた自分の母が突然そば近くに現われたのに気を奪われた様子で、とみには声も出さずに驚いて葉子を見守った。
「定《さあ》ちゃんママだよ。よく丈夫でしたね。そしてよく一人でおとなにして……」
もう声が続かなかった。
「ママちゃん」
そう突然大きな声でいって定子は立ち上がりざま台所のほうに駆けて行った。
「婆《ばあ》やママちゃんが来たのよ」
という声がした。
「え!」
と驚くらしい婆やの声が裏庭から聞こえた。と、あわてたように台所を上がって、定子を横抱きにした婆やが、かぶっていた手ぬぐいを頭《つむり》からはずしながらころがり込むようにして座敷にはいって来た。二人は向き合ってすわると両方とも涙ぐみながら無言で頭を下げた。
「ちょっと定ちゃんをこっちにお貸し」
しばらくしてから葉子は定子を婆《ばあ》やの膝《ひざ》から受け取って自分のふところに抱きしめた。
「お嬢さま……私にはもう何がなんだかちっとも[#「ちっとも」に傍点]わかりませんが、私はただもうくやしゅうございます。……どうしてこう早くお帰りになったんでございますか……皆様
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