祝賀するために檣《マスト》から檣にかけわたされた小旌《こばた》がおもちゃのようにながめられた。
 葉子は長い航海の始終《しじゅう》を一場の夢のように思いやった。その長旅の間に、自分の一身に起こった大きな変化も自分の事のようではなかった。葉子は何がなしに希望に燃えた活々《いきいき》した心で手欄《てすり》を離れた。部屋には小ざっぱり[#「小ざっぱり」に傍点]と身じたくをした女中《じょちゅう》が来て寝床をあげていた。一|間《けん》半の大床《おおとこ》の間《ま》に飾られた大|花活《はない》けには、菊の花が一抱《ひとかか》え分もいけられていて、空気が動くたびごとに仙人《せんにん》じみた香を漂わした。その香をかぐと、ともするとまだ外国にいるのではないかと思われるような旅心が一気にくだけて、自分はもう確かに日本の土の上にいるのだという事がしっかり[#「しっかり」に傍点]思わされた。
 「いいお日和《ひより》ね。今夜あたりは忙しんでしょう」
 と葉子は朝飯の膳《ぜん》に向かいながら女中にいってみた。
 「はい今夜は御宴会が二つばかりございましてね。でも浜の方《かた》でも外務省の夜会にいらっしゃる方もご
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