葉子はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として立ちどまってしまった。短くなりまさった日は本郷《ほんごう》の高台に隠れて、往来には厨《くりや》の煙とも夕靄《ゆうもや》ともつかぬ薄い霧がただよって、街頭のランプの灯《ひ》がことに赤くちらほらちらほらとともっていた。通り慣れたこの界隈《かいわい》の空気は特別な親しみをもって葉子の皮膚をなでた。心よりも肉体のほうがよけいに定子のいる所にひき付けられるようにさえ思えた。葉子の口びるは暖かい桃の皮のような定子の頬《ほお》の膚ざわりにあこがれた。葉子の手はもうめれんす[#「めれんす」に傍点]の弾力のある軟《やわ》らかい触感を感じていた。葉子の膝《ひざ》はふうわり[#「ふうわり」に傍点]とした軽い重みを覚えていた。耳には子供のアクセントが焼き付いた。目には、曲がり角《かど》の朽ちかかった黒板塀《くろいたべい》を透《とお》して、木部から稟《う》けた笑窪《えくぼ》のできる笑顔《えがお》が否応なしに吸い付いて来た。……乳房はくすむったかった。葉子は思わず片頬に微笑を浮かべてあたりをぬすむように見回した。とちょうどそこを通りかかった内儀《かみ》さんが、何かを前掛けの
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