東京を発《た》った時の模様をまた仔細《しさい》に話しつづけた。
こうしたふうで葛藤《かっとう》は葉子の手一つで勝手に紛らされたりほごされたりした。
葉子は一人《ひとり》の男をしっかり[#「しっかり」に傍点]と自分の把持《はじ》の中に置いて、それが猫《ねこ》が鼠《ねずみ》でも弄《な》ぶるように、勝手に弄《な》ぶって楽しむのをやめる事ができなかったと同時に、時々は木村の顔を一目見たばかりで、虫唾《むしず》が走るほど厭悪《けんお》の情に駆り立てられて、われながらどうしていいかわからない事もあった。そんな時にはただいちずに腹痛を口実にして、一人になって、腹立ち紛れにあり合わせたものを取って床の上にほうったりした。もう何もかもいってしまおう。弄《もてあそ》ぶにも足らない木村を近づけておくには当たらない事だ。何もかも明らかにして気分だけでもさっぱり[#「さっぱり」に傍点]したいとそう思う事もあった。しかし同時に葉子は戦術家の冷静さをもって、実際問題を勘定に入れる事も忘れはしなかった。事務長をしっかり[#「しっかり」に傍点]自分の手の中に握るまでは、早計に木村を逃がしてはならない。「宿屋きめずに
前へ
次へ
全339ページ中311ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング