思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟《やわ》らかい鬢《びん》の後《おく》れ毛《げ》をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態《しな》である。
この時、繰り戸がけたたましくあいたと思うと、中から二三人の乗客がどやどやと現われ出て来た。
しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織《はお》った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっ[#「はっ」に傍点]と処女の血を盛《も》ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人《ふたり》の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間|燕返《つばめがえ》しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢《きょうまん》な光をそのひとみから射出《いだ》したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は
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