木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬《むく》い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩《かっぽ》して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉《まゆ》の間にみなぎらしながら、振り返ってじっ[#「じっ」に傍点]と葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑《ぶべつ》の一瞥《いちべつ》をも与えなかった。
 木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっ[#「じっ」に傍点]とその後ろ姿を逐《お》いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
 「また会う事があるだろうか」
 葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。

    四

 列車が川崎駅を発すると、葉子はまた手欄《てすり》によりかかりながら木部の事をいろいろと思いめぐらした。やや色づいた田圃《たんぼ》の先に松並み木が見えて、その間《あいだ》から低く海の光る、平
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