船員たちが、ぬれた傘《かさ》を光らしながら駆けこんで来た。その騒ぎの間に、一種|生臭《なまぐさ》いような暖かい蒸気が甲板の人を取り巻いて、フォクスルのほうで、今までやかましく荷物をまき上げていた扛重機《クレーン》の音が突然やむと、かーんとするほど人々の耳はかえって遠くなった。隔たった所から互いに呼びかわす水夫らの高い声は、この船にどんな大危険でも起こったかと思わせるような不安をまき散らした。親しい間の人たちは別れの切《せつ》なさに心がわくわくしてろくに口もきかず、義理一ぺんの見送り人は、ややともするとまわりに気が取られて見送るべき人を見失う。そんなあわただしい抜錨《ばつびょう》の間ぎわになった。葉子の前にも、急にいろいろな人が寄り集まって来て、思い思いに別れの言葉を残して船を降り始めた。葉子はこんな混雑な間にも田川のひとみが時々自分に向けられるのを意識して、そのひとみを驚かすようななまめいたポーズや、たよりなげな表情を見せるのを忘れないで、言葉少なにそれらの人に挨拶《あいさつ》した。叔父《おじ》と叔母《おば》とは墓の穴まで無事に棺を運んだ人夫のように、通り一ぺんの事をいうと、預かり物を
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