博士《はかせ》夫人万歳」「万歳」「万歳」
 田川その人に対してよりもさらに声高《こわだか》な大歓呼が、桟橋にいて傘《かさ》を振り帽子を動かす人々の群れから起こった。田川夫人は忙《せわ》しく葉子から目を移して、群集に取っときの笑顔《えがお》を見せながら、レースで笹縁《ささべり》を取ったハンケチを振らねばならなかった。田川のすぐそばに立って、胸に何か赤い花をさして型のいいフロック・コートを着て、ほほえんでいた風流な若紳士は、桟橋の歓呼を引き取って、田川夫人の面前で帽子を高くあげて万歳を叫んだ。デッキの上はまた一しきりどよめき渡った。
 やがて甲板の上は、こんな騒ぎのほかになんとなく忙《せわ》しくなって来た。事務員や水夫たちが、物せわしそうに人中を縫うてあちこちする間に、手を取り合わんばかりに近よって別れを惜しむ人々の群れがここにもかしこにも見え始めた。サルン・デッキから見ると、三等客の見送り人がボーイ長にせき立てられて、続々|舷門《げんもん》から降り始めた。それと入れ代わりに、帽子、上着、ズボン、ネクタイ、靴《くつ》などの調和の少しも取れていないくせに、むやみに気取った洋装をした非番の下級
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