で知らなかった涙が眼を熱くし出すと、妙に胸がわくわくして来て、急に深淵のような深い静かさが心を襲った。クララは明かな意識の中にありながら、凡《すべ》てのものが夢のように見る見る彼女から離れて行くのを感じた。無一物な清浄《しょうじょう》な世界にクララの魂だけが唯《ただ》一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交《かわ》る交《がわ》る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆《あし》の葉のように細かくおののいていた。光りのようなその髪もまた細かに震えた。クララの手は自《おのずか》らアグネスの手を覓《もと》めた。
 「クララ、あなたの手の冷たく震える事」
 「しっ、静かに」
 クララは頼りないものを頼りにしたのを恥じて手を放した。そして咽《む》せるほどな参詣人《さんけいにん》の人いきれの中でまた孤独に還った。
 「ホザナ……ホザナ……」
 内陣から合唱が聞こえ始めた。会衆の動揺は一時に鎮《しずま》って座席を持たない平民たちは敷石の上に跪《ひざまず》いた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ
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