はあとからあとから涙が湧き流れた。眼に触れるものは何から何までなつかしまれた。
一人の婢女《はしため》を連れてクララは家を出た。コルソの通りには織るように人が群れていた。春の日は麗《うらら》かに輝いて、祭日の人心を更らに浮き立たした。男も女も僧侶もクララを振りかえって見た。「光りの髪のクララが行く」そういう声があちらこちらで私語《ささや》かれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩いて行った。この雑鬧《ざっとう》な往来の中でも障碍《しょうがい》になるものは一つもなかった。広い秋の野を行くように彼女は歩いた。
クララは寺の入口を這入《はい》るとまっすぐにシッフィ家の座席に行ってアグネスの側に坐を占めた。彼女はフォルテブラッチョ家の座席からオッタヴィアナが送る視線をすぐに左の頬に感じたけれども、もうそんな事に頓着《とんじゃく》はしていなかった。彼女は座席につくと面《おもて》を伏せて眼を閉じた。ややともすると所も弁《わきま》えずに熱い涙が眼がしらににじもうとした。それは悲しさの涙でもあり喜びの涙でもあったが、同時にどちらでもなかった。彼女は今ま
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