状を出した。室長の気の毒な薄い影が当分の間は私の眼先にこびりついてゐた。が、愕然《がくぜん》としてわれに返ると、余り怠《なま》けた結果、私は六科目の注意点を受けてゐたので、俄《にはか》に狼狽《ろうばい》し切つた勉強を始め、例の便所の入口の薄明の下に書物を披《ひら》いて立つたが、さうしたことも、何物かに媚《こ》び諂《へつら》ふ習癖、自分自身にさへひたすらに媚び諂うた浅間しい虚偽の形にしか過ぎないのであつた。

 辛うじて進級したが、席次は百三十八番で、十人の落第生が出たのだから、私が殆どしんがりだつた。
「貴様は低能ぢやい、脳味噌がないや、なんぼ便所《せんち》で勉強したかつて……」
 学年始めの式の朝登校すると、控所で一《ひ》と塊《かたまり》になつて誰かれの成績を批評し合つてゐた中の一人が、私を弥次《やじ》ると即座に、一同はわつ[#「わつ」に傍点]と声を揃《そろ》へて笑つた。
 二年になると成績のよくないものとか、特に新入生を虐《いぢ》めさうな大兵《だいひやう》なものとかは、三年生と一緒に東寮に移らなければならなかつたが、私は運よく西寮に止まり、もちろん室長でこそなかつたにしろ、それでも
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