は殆《ほとん》ど日曜日毎に孫の私に会ひに来た。白い股引《もゝひき》に藁草履《わらざうり》を穿いた田子《たご》そのまゝの恰好《かつかう》して家でこさへた柏餅《かしはもち》を提《さ》げて。私は柏餅を室のものに分配したが、皆は半分食べて窓から投げた。私は祖父を来させないやうに家に書き送ると、今度は父が来出した。父の風采《ふうさい》身なりも祖父と大差なかつたから、私は父の来る日は、入学式の前晩泊つた街道筋の宿屋の軒先に朝から立ちつくして、そこで父を掴《つか》まへた。祖父と同様寄宿舎に来させまいする魂胆を感附いた父は、「俺でも悪いといふのか、われも俺の子ぢやないか、親を恥づかしう思ふか、罰当《ばちあた》りめ!」と唇をひん曲げて呶鳴《どな》りつけた。とも角、何は措《お》いても私は室長に馬鹿にされるのが辛《つら》かつた。どうかして、迚《とて》も人間業《にんげんわざ》では出来ないことをしても、取り入つて可愛がられたかつた。その目的ゆゑに親から強請した小遣銭で室長に絶えず気を附けて甘いものをご馳走《ちそう》し、又言ひなり通り夜の自習時間に下町のミルクホールに行き熱い牛乳を何杯も飲まし板垣を乗り越えて帰つ
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