し、新聞配達をしつゝ予備校に通つてゐたが、神田で焼き出されて本郷の私の下宿に遁《のが》れて来た。火に迫られて下宿の家族と一しよに私が駒込西ヶ原へ避難する時、修一は私の重い柳行李《やなぎがうり》を肩に舁《かつ》いでくれたりした。私は修一の言葉遣や振舞の粗野を嫌ひ、それに私自身も貧乏だつたので、宥《なだ》めすかして赤羽から国へ発たせたが、汽車の屋根に腹伏せになつて帰つたといふ通知を受けたときは、私は彼を厄介視した無慈悲が痛く心を衝いた。修一は私が下宿の娘と大そう仲がいゝとか、着物の綻《ほころ》びを縫つて貰つてゐるとか妻に告口したので、間もなく帰国した私に、「独身に見せかけて、わたしに手紙を出させんといて、へん、みな知つちよるい!」と、妻は炎のやうな怨みを述べたのであつた。
自分が妻や、妻の弟妹達に与へた打撃、あれほど白昼堂々と悪いことをして置いて、而《しか》も心から悪いと項垂《うなだ》れ恐れ入ることをしない私なのである。何んと言ふなつてない人間だらう? 現に先程修一にぶつかつた場合の、あの身構へ、あの白々しさ、あの鉄面皮と高慢――電気に触れたやうにさう思へた刹那《せつな》、私は悚然《しよ
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