話で事の顛末《てんまつ》を訊《き》き合せたが、内務省へ出頭したらいゝとやらで、要領を得なかつた。つぎの日の朝私は女に吩咐《いひつ》けてトランクから取出させた春のインバネスを着て家を出た。春のインバネスは雑誌記者になりたて、古参の編輯同人の誰もが着てゐるので田舎ぽつと出の私は体面上是非着るべきものかと思つて月賦のやりくりで購《あがな》つたものだが、柄に不相応で極り悪く二三度手を通しただけで打つちやつてしまつてゐた。幾年かぶりで着て見ても、同じくそぐはない妙にテレ臭い感じである。行くうち不図《ふと》、この霜降りのインバネスを初めて着たをり編輯長に「君は色が黒いから似合はないね」と言はれて冷やツとした時の記憶が頭に蘇生《よみがへ》つた。と思ふと直に、先月或雑誌で私を批評して、ニグロが仏蘭西人《フランスじん》の中に混つたやうな、と嘲笑してあつた文字と思ひ合された。幼年、少年、青年の各時代を通じて免かれなかつた色の黒いひけ目が思ひがけぬ流転の後の現在にまで尾を曳《ひ》くかと淡い驚嘆が感じられた。今日に至つた己が長年月のあひだに一体何んの変化があつたであらう?
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