ふたゝび編輯に携はつた。矢張り同人組織ではあつても今度のはやゝ営利主義の相当な雑誌で、殆ど一人で営業方面まで受持つた私の多忙は、他人の想像をゆるさない程のものと言つてよかつた。編輯会議、執筆依頼状、座談会への人集め、焦躁、原稿催促、幹部の方の意見を聴いて編輯、兎角締切りののびのび、速達、電報、印刷所通ひ、へたくそ校正、職長さんとの衝突、写真製版屋の老人への厭味、三校を幹部の方に見ていたゞいて校了、製本屋を叱咤《しつた》、見本が出来た晩は一ト安心、十九日発売、依託雑誌の配本、返品受付、売捌元《うりさばきもと》集金、帳簿、電話――あれに心を配り、これに心を配り、愚な苦労性の私には、まるで昼が昼だか夜が夜だか分らなかつた。しかし私はてんてこ舞ひをし乍《なが》らも、只管《ひたすら》失業地獄に呻吟する人達に思ひ較《くら》べて自分を督励し、反面では眼に立つ身体の衰弱を意識して半ば宿命に服するやうな投遣《なげや》りな気持で働いた。
五月号が市場に出てこゝ三四日は何程かの閑散を楽しまうとしてゐる夜、神楽坂署の刑事が来て、発売禁止の通達状をつきつけ、残本を差押へて行つた。私はひどく取り乱して警視庁へ電
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