日に連れ戻した。受験後の当座は、毎晩父が風呂に入るとお流しに行く母の後について私も湯殿に行く度《たび》、「われの試験が通らんことにや、俺ア、近所親類へ合す顔がないが」と溜息《ためいき》を吐《つ》き、それから試験がうかればうかつたで、入学後の勉強と素行について意見の百万遍を繰返したものだのに、でも、あの松林を二人ぎりで歩いて来た時は、私の予期に反して父は何ゆゑ一言の忠言もしなかつたのだらう? その場合の、無言の父のはうが、寧《むし》ろどんなにか私の励みになつてゐた。
何かしら斯様《かやう》な感慨が始終胸の中を往来した。私は或時舎生に、親のことを思へば勉強せずにはをられん、とつい興奮を口走つて、忽《たちま》ちそれが通学生の耳に伝はり、朝の登校の出合がしら「やあ、お早う」といふ挨拶代《あいさつがは》りに誰からも「おい、親のことを思へば、か」と揶揄《やゆ》されても、別に極《きま》り悪くは思はなかつた。夜の十時の消燈ラッパの音と共に電燈が消え皆が寝しづまるのを待ち私は便所の入口の燭光の少い電燈の下で教科書を開いた。それも直ぐ評判になつて、変テケレンな奴だといふ風評も知らずに、口々に褒《ほ》めて
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