頬をひき吊り蟀谷《こめかみ》のかすかな筋をふるはせた。この恋の要求が逸早《いちはや》く自分の身なりに意を留めさせ、きたない顔を又気に病ませた。それまで蔭で掛けては鏡を見てゐたニッケルの眼鏡《めがね》を大びらに人前でも掛けさせた。ちやうど隣村へ嫁入つてゐる姉の眼が少し悪くて姑《しうと》の小言の種になつてゐた際で、眼病が一家の疾のごと断定されはしまいかとの虞《おそ》れから、母は私の伊達《だて》眼鏡を嫌ひ厭味《いやみ》のありつたけを言つたが、しかし一向私は動じなかつた。私は常に誰かに先鞭《せんべん》をつけられさうなことを気遣つて、だから年端《としは》のゆかぬ雪子にどうかして一日も早く意中を明かしたいと、ひとりくよ/\胸を痛めた。好都合に雪子の母がひそかに私の気持を感附いてくれ、それとなく秋祭に私を招いて、雪子にご馳走のお給仕をさせた。下唇をいつも噛む癖があつて、潤つた唇に薄桃色の血の色が美しくきざしかけてゐる雪子は、盆を膝の上にのせて俯向いてゐた。お膳が下げられて立ち際に私がかゝへた瀬戸の火鉢が手から滑り落ちて粉微塵《こなみぢん》に砕けた。雪子は箒《はうき》と塵取とを持つて来てくれ、私は熱灰
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