《おさげ》に触れたり、机の蓋《ふた》をはぐつてお清書の点を検べたりした。何んと言つても雪子は私一人のものであつた。盂蘭盆《うらぼん》が来て十王堂の境内からトントコトコといふ音が聞え出すと、私はこつそり家を抜け出し山寄の草原径を太鼓の音の方に歩いて行つて、其処で人目を忍ぶやうにして見た、赤紐で白い腮《あご》をくゝつて葦《あし》の編笠《あみがさ》を深目にかぶつた雪子の、長い袖をたを/\と波うたせ、若衆の叩く太鼓に合せて字村《あざむら》の少女たちに混つて踊つてゐる姿など、そんな晩は夜霧が川辺や森の木立を深くつゝんでゐて、家に帰つて寝床に入つてからも夜もすがら太鼓の音が聞えて来たことなど、年々の思ひ出が頻《しき》りに懐《なつか》しまれるに従ひ、加速度に奇態な、やる瀬ない、様々な旋律が私の心を躍動させた。これが恋だと自分に判つた。私は用事にかこつけて木槿《むくげ》の垣にかこまれた彼女の茅葺《かやぶき》屋根の家の前を歩いた。彼女を見たさに、私は川下の寺へ漢籍を毎夜のやうに習ひに行つてはそこへ泊つて朝学校へゆく彼女と路上で逢ふやうにした。下豊《しもぶくれ》の柔和な顔であるのに私に視入られると雪子は、
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