端、ガラツと格子戸が開いて、羽織袴の、S社の出版部のAさんが、玄關に見えた。
 私は吻《ほつ》として、この難場の救主に、どうぞ/\と言つて、自分の座蒲團の裏を返してすゝめた。
「先生、突然で恐縮ですが、來年の文章日記へ、ひとつご揮毫《きがう》をお願ひしたいんですが、どうか枉《ま》げてひとつ……」
 二こと三こと久闊の挨拶が取交はされた後、Aさんは手を揉みながら物馴れた如才ない口調で斯う切り出した。
「我輩、書くべえか……K君、どうしよう、書いてもいゝか?」
 それは是非お書きになつたらいゝでせうと、私はAさんに應援する風を裝つて話を一切そつちに移すやう上手にZ・K氏に焚き附けた。机邊に戲《たはむ》れるユウ子さんを見て、「われと遊ぶ子」と書かうかとか、いや、「互に憐恤《れんじゆつ》あるべし」に決めようとZ・K氏の言つてゐる、そのバイブルの章句に苦笑を覺えながらも、やれ/\助かつたはと安堵の太息を吐き/\、私は墨をすつたり筆を洗つたりした。
 感興の機勢で直ぐ筆を揮《ふる》つたZ・K氏は、縱長い鳥子紙の見事な出來榮えにちよつと視入つてゐたが、くる/\器用に卷いて、では、これを、とAさんの前
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