《おくて》の收穫時で田圃《たんぼ》は賑つてゐます。古くからの小作達はさうでもありませんけども、時二とか與作などは未だ臼挽《うすひき》も濟まさないうちから強硬に加調米を値切つてゐます。要求に應じないなら斷じて小作はしないといふ劍幕です。それといふのも女や年寄ばかりだと思つて見縊《みくび》つてゐるのです。「田を見ても山を見ても俺はなさけのうて涙がこぼれるぞよ」とお父さまは言ひ言ひなさいます。先日もお父さまは、鳶《とび》が舞はにや影もない――と唄には歌はれる片田の上田を買はれた時の先代の一方ならぬ艱難辛苦の話をなすつて「先代さまのお墓に申譯ないぞよ」と言つて、其時は文字通り暗涙に咽《むせ》ばれました。お父さまはご養子であるだけに祖先に對する責任感が強いのです。田地山林を讓る可き筈のお兄さまの居られないお父さまの歎きのお言葉を聞く度に、わたくしお兄さまを恨まずにはゐられません。
 先日もお父さまが、あの鍛冶屋《かぢや》の向うの杉山に行つて見られますと、意地のきたない田澤の主人が境界石を自家の所有の方に二間もずらしてゐたさうです。お父さまは齒軋《はぎし》りして口惜しがられました。「圭一郎が居らん
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