見ると今更のやうにぎよつとして急いで眼を瞑《つぶ》つた。
圭一郎の月給は當分の間は見習ひとして三十五圓だつた。それでは生活を支へることがむづかしいので不足の分は千登世の針仕事で稼ぐことになり「和服御仕立いたします」と書いた長方形の小さなボール紙を階下の路地に面した戸袋に貼りつけた。幸ひ近所の人達が縫物を持つて來てくれたのでどうにか月々は凌《しの》げたが、その代り期日ものなどで追ひ攻められて徹夜しなければならないため、千登世の健康は殆ど臺なしだつた。
「こんなに髮の毛がぬけるのよ」
千登世は朝髮を梳《す》く時ぬけ毛を束にして涙含み乍ら圭一郎に見せた。事實、彼女の髮は痛々しい程減つて、添へ毛して七三に撫でつけて毳《むくげ》を引き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《む》しられた小鳥の肌のやうな隙間が見えた。圭一郎の心の底から深い憐れさが沁み出して來るのであつたが、彼女の涙も度重なると、時には自分達の存在が根柢から覆へされるやうな憤りさへ覺えた。さう言つて責めてくれるな! と哀訴したいやうな、苦しいのはお互ひさまではないか! と斯う彼女の弱音に荒々しい批難と突つ慳貪《けんどん》
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