れるさうですから」
 千登世は健氣《けなげ》に言つたが、圭一郎は情なかつた。
 丁度その時、酒新聞社の編輯者募集を職業案内で見つけて、指定の日時に遣つて行つた。彼が二十幾人もの應募者の先着だつた。中にはほんのちよつとした應對で飽氣なく[#「飽氣なく」は底本では「飽氣つく」]斷られる奴もあつて、殘る半數の人たちに、主人は、銘々に文章を書かせてそれをいち/\手に取上げて讀んでは又片つ端から慘《むご》く斷り、後に圭一郎と、口髭を立派に刈込んだ金縁眼鏡の男と二人程殘つた。主人は圭一郎に、
「とに角、君は、明日九時に來て見たまへ」と、言つた。
「眞面目にやりますから、どうぞ使つて下さい。どうぞよろしくお願ひいたします」
 圭一郎は丁寧にお叩頭《じぎ》して座を退り齒のすり減つた日和《ひより》をつつかけると、もう一度お叩頭をしようと振り返つたが、衝立《ついたて》に隱れて主人の顏は見えなかつた。圭一郎は、如何にも世智にたけたてきぱきした口調で、さも自信ありさうに主人に話し込んでゐる金縁眼鏡の男の横面を、はりつけてやりたい程憎らしかつた。
 屋外に出るとざつと大粒の驟雨《しうう》に襲はれた。家々の軒下を
前へ 次へ
全38ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング