に艶裝《めか》しこんで、船頭や、車引や、オワイ屋さんにまで愛嬌をふりまいて其日々々の渡世を凌《しの》ぐらしい婆さんの境涯を、彼は幾度千登世の運命に擬しては身の毛を彌立《よだ》てたことだらう。彼は彼女の先々に涯知れず展《ひろ》がるかもしれない、さびしく此土地に過ごされる不安を愚しく取越して、激しい動搖の沈まらない現在を、何うにも拭ひ去れなかつた。
圭一郎は電車の中などで水鼻洟《みづばな》を啜つてゐる生氣の衰へ切つて萎びた老婆と向ひ合はすと、身内を疼《うづ》く痛みと同時に焚くが如き憤怒さへ覺えて顏を顰《しか》めて席を立ち、急ぎ隅つこの方へ逃げ隱れるのであつた。
陽春の訪れと共に狹隘《せゝつこま》しい崖の下も遽《にはか》に活氣づいて來た。大きな斑猫《ぶちねこ》はのそ/\歩き廻つた。澁紙色をした裏の菊作りの爺さんは菊の苗の手入れや施肥に餘念がなかつた。怠けものの配偶《つれあひ》の肥つた婆さんは、これは朝から晩まで鞣革《なめしがは》をコツ/\と小槌で叩いて琴の爪袋を内職に拵《こしら》へてゐる北隣の口達者な婆さんの家の縁先へ扇骨木《かなめ》の生籬《いけがき》をくゞつて來て、麗かな春日をぽか/\
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