かして暗處をこゝまで辿りついて來た互ひの胸の中を寢物語りにしてゐたが、間もなく千登世は斯う言つて寢床を離れた。すこし熱の出た圭一郎は組み合せた兩掌で顏を蔽ひ、鈍痛を伴つて冷える後頭部の皿を枕に押しつけてゐると、突如と崖上の會堂から磬石《けいせき》を叩く音が繁く響いて來た。圭一郎はあわてて拇指《おやゆび》で耳孔を塞いだ。が、駄目だ。G師につゞく百人近い學舍に寄宿してゐる帝大生の勤經《ごんぎやう》の聲は押し拂はうとても、鎭まつた朝の空氣をどよもして手に取るやうに意地惡く聞えて來る。彼は忌々《いま/\》しさに舌打ちし、自棄《やけ》くそな捨鉢の氣持で空嘯《そらうそぶ》くやうにわざと口笛で拍子を合はせ、足で音頭をとつてゐた。が、何時しか眼を瞑《つぶ》つてしまつた。「愛欲之中《アイヨクシチユウ》。……窈窈冥冥《ヤウヤウミヤウミヤウ》。別離久長《ベチリクチヤウ》」嘗《か》つて學舍でG師に教はつて切れ/″\に諧《そら》んじてゐる經文が聞えると、心の騷擾《さうぜう》は彌増《いやま》した。「顛倒上下《テンダウジヤウゲ》。……迭相顧戀《テチソウコレン》。窮日卒歳《グニチソチサイ》……愚惑所覆《グワクシヨブ》
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