はん、このお方はな、こんなぼくねん[#「ぼくねん」に傍点]人みたいな風してはりますけど、重亭でも入船でも、それから富田屋《とんだや》でも皆知つてやはりますんやで。なか/\隅に置けまへんで。」と、早や酔ひの廻つたやうな声を出した。
「ほんまに隅へ置けまへんな。粋なお方や、あんた[#「あんた」に傍点]はん一つおあがりなはツとくれやす。」と、女中は備前焼の銚子を持つて、源太郎の方へ膝|推《お》し進めた。
「奈良丸はんと一所に行かはりましたのやもん。芸子はんでも、八千代はんや、吉勇はんを、皆知つてやはりまツせ。」
 かう言つてお文は、夫の福造が千円で三日の間奈良丸を買つて、大入を取つた時、讃岐屋の旦那々々と立てられて、茶屋酒を飲み歩いた折のことを思ひ出してゐた。さうして叔父の源太郎が監督者とも付かず、取巻とも付かずに、福造の後に随いて茶屋遊びの味を生れて初めて知つたことの可笑《をか》しさが、今更に込み上げて来た。
「阿呆らしいこと言はずに置いとくれ。」と、源太郎も笑ひを含んで漸く杯を取り上げ、冷《さ》めた酒を半分ほど飲んだ。
 雲丹《うに》だの海鼠腸《このわた》だの、お文の好きなものを少しづゝ
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