はん、このお方はな、こんなぼくねん[#「ぼくねん」に傍点]人みたいな風してはりますけど、重亭でも入船でも、それから富田屋《とんだや》でも皆知つてやはりますんやで。なか/\隅に置けまへんで。」と、早や酔ひの廻つたやうな声を出した。
「ほんまに隅へ置けまへんな。粋なお方や、あんた[#「あんた」に傍点]はん一つおあがりなはツとくれやす。」と、女中は備前焼の銚子を持つて、源太郎の方へ膝|推《お》し進めた。
「奈良丸はんと一所に行かはりましたのやもん。芸子はんでも、八千代はんや、吉勇はんを、皆知つてやはりまツせ。」
かう言つてお文は、夫の福造が千円で三日の間奈良丸を買つて、大入を取つた時、讃岐屋の旦那々々と立てられて、茶屋酒を飲み歩いた折のことを思ひ出してゐた。さうして叔父の源太郎が監督者とも付かず、取巻とも付かずに、福造の後に随いて茶屋遊びの味を生れて初めて知つたことの可笑《をか》しさが、今更に込み上げて来た。
「阿呆らしいこと言はずに置いとくれ。」と、源太郎も笑ひを含んで漸く杯を取り上げ、冷《さ》めた酒を半分ほど飲んだ。
雲丹《うに》だの海鼠腸《このわた》だの、お文の好きなものを少しづゝ手塩皿に取り分けたのや、其の他いろ/\の気取つた鉢肴《はちざかな》を運んで置いて、女中は暫く座を外した。お文は手酌で三四杯続けて飲んで、源太郎の杯にも、お代りの熱い銚子から波々と注いだ。
「お前の酒飲むことは、姉貴も薄々知つてるが、店も忙しいし、福造のこともあつて、むしやくしや[#「むしやくしや」に傍点]するやらうと思うて、黙つてるんやらうが、あんまり大酒飲まん方がえゝで。」
肴ばかりむしや/\喰べて、源太郎は物柔かに言つた。
「置いとくなはれ、をツ[#「をツ」に傍点]さん。意見は飲まん時にしとくなはれな。飲んでる時に意見をしられると、お酒が味ない。……をツ[#「をツ」に傍点]さんかて、まツさら[#「まツさら」に傍点]散財知らん人やおまへんやないか。今度堀江へ附き合ひなはれ。此処らでは顔がさしますよつてな、堀江で綺麗なんを呼びまへう。」
かう言つて、お文は少しも肴に手を付けずに、また四五杯飲んだ、果てはコツプを取り寄せて、それに注がせて呷《あふ》つた。
もう何も言はずに、源太郎はお文の取り寄せて呉れた生魚《なま》の鮓《すし》を喰べてゐた。
八
お文と源太郎とが
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