てゐた。
「あゝ、御寮人さん、お出でやす。まアお久しおますこと、えらいお見限りだしたな。さアお上りやす。」
赤前垂の肥つた女は、食物を載せた盆を持つて、狭い廊下を通りすがりに、沓脱石の前に立つてゐるお文の姿を見出して、ペラ/\と言つた。
「上らうと思うて来たんやもん、上らずに去《い》ぬ気遣ひおまへん。」
かう言つて駒下駄を沓脱石の上に脱ぎ棄てたお文の背中を、ポンと叩いて、赤前垂の女は、
「まア御寮人さん……」と、仰山《ぎょうさん》らしく呆《あき》れた表情をしたが、後から随《つ》いて入つて来た源太郎の大きな姿を見ると、
「お連れはんだツか。……何うぞお上り。さア此方へお出でやへえな。」と、優しく言つて、窮屈な階子段を二階へ案内した。
茶室好みと言つたやうな、細そりした華奢《きやしや》な普請《ふしん》の階子段から廊下に、大きな身体を一杯にして、ミシ/\音をさせながら、頭の支《つか》へさうな低い天井を気にして、源太郎は二階の奥の方の鍵の手に曲つたところへ、女中とお文との後から入つて行つた。
「善哉《ぜんざい》なんぞ厭だすがな。こんなとこへ来るといふと、阿母アはんが怒りはるよつて、あゝ言ひましたんや。」
向うの広間に置いた幾つもの衝立《ついたて》の蔭に飲食《のみくひ》してゐる、幾組もの客を見渡しつゝ、お文はさも快ささうに、のんびりとして言つた。
「御寮人さん、お出でやす。」
「御寮人はん、お久しおますな。」
なぞと、痩せたのや肥えたのや、四五人の赤前垂の女中が代る/\出て来た。其の度にお文が白いのを鼻紙に包んで与《や》るのを、源太郎は下手な煙草の吸ひやうをしながら、眼を光らして見てゐる。
肥つた女中は、チリン/\と小さく鈴の鳴るやうな音をさして、一つ一つ捻つた器具の載つてゐる杯盤を運んで来た。
「まア一つおあがりやへえな。」と、女中は盃洗の底に沈んでゐた杯を取り上げ、水を切つて、先づ源太郎に献《さ》した。源太郎は酌《さ》された酒の黄色いのを、しツぽく[#「しツぽく」に傍点]台の上に一寸見たなりで、無器用な煙草を止めずにゐた。
「こんな下等なとこやよつて、重亭や入船のやうに行きまへんが、お口に合ひまへんやろけど、まアあがつとくなはれ……なア姐《ねえ》はん。」
自分に献された初めの一杯を、ぐツと飲み乾したお文は、かう言つてから、二度目の酌を女中にさせながら、
「姐
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