び暮したのだった。
 私は学齢に達した。けれど学校に行けない。
 のちに私はこういう意味のことを読んだ。そして、ああ、その時私はどんな感じをしたことであろう。曰く、
 明治の聖代になって、西洋諸国との交通が開かれた。眠れる国日本は急に目覚めて巨人のごとく歩み出した。一歩は優に半世紀を飛び越えた。
 明治の初年、教育令が発布されてから、いかなる草深い田舎にも小学校は建てられ、人の子はすべて、精神的に又肉体的に教育に堪え得ないような欠陥のない限り、男女を問わず満七歳の四月から、国家が強制的に義務教育を受けさせた。そして人民はこぞって文明の恩恵に浴した、と。
 だが無籍者の私はただその恩恵を文字の上で見せられただけだ。私は草深い田舎に生れなかった。帝都に近い横浜に住んでいた。私は人の子で、精神的にも肉体的にも別に欠陥はなかった。だのに私は学校に行くことが出来ない。
 小学校は出来た。中学校も女学校も専門学校も大学も学習院も出来た。ブルジョワのお嬢さんや坊ちゃんが洋服を着、靴を履いてその上自動車に乗ってさえその門を潜った。だがそれが何だ。それが私を少しでも幸福にしたか。

 私の家から半町ばか
前へ 次へ
全22ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
金子 ふみ子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング