っとしました。荷物を置いて槍へ登りますと人の声がするので、よく見ると槍を三人の人が下りつつあるのです。すぐエホーと声をかけながら元気を出して登りますと、彼の登山者は槍肩の小屋へ入ってしまいました。槍は雪が少しありますが凍っていないので難なく午前十一時頂上へ登ることができました。北の方や常念山脈は雲に巻かれて見えませんが、南の方は晴れていて穂高連峰の雄大なのには驚きました。乗鞍、御獄や白山、笠も少し見えました。しかもこんな雪の降りつつある日本アルプスを見ることができ、ほんとにきた甲斐がありました。槍ヶ岳の祠は新しいのができていて中に名刺入の箱がありました。槍を下って肩の小屋へ行きました。先の登山者は法政大学の角田様ともう一人案内が一人の三人でした。お腹がぺこぺこなので、早速飯を恵んで下さいと頼み、大変御馳走になりお陰でやっと元気になりました。それから殺生小屋に帰り荷物を持って大急ぎで下り、大槍の小屋も過ぎ槍沢の小屋で靴をかえ、一ノ俣の小屋を通ってどんどん下りました。上高地の紅葉は少し遅いようですが、それでも綺麗でしたし、唐沢の屏風岩も雄大に見えました。徳本峠へ登る頃はまた空腹になりましたが、水で元気をつけ午後五時半峠の小屋へ着きました。人がいましたのでパンを食い、記念品を買って堤燈《ちょうちん》の火で島々まで急ぎました。やっと九時五十分島々駅に着いたときは嬉しかったです。
[#地から1字上げ](一九二七・一一)
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冬の氷ノ山と鉢伏山

 二月十一日、午前零時三十分、私は山陰線八鹿駅に下車しました。あいにく雪が降っています。関の宮の堂で七時頃まで寝ましたので、山麓の大久保へ着いたのは十一時頃でした。さっそく鉢伏へ登る気で輪カンジキをはきスキーを引張って出発しました。雪が軟かいので輪が大変沈んで歩行が困難です。やっと牧場まできましたが、スキーは下手だし雪も止みませんので頂上へ登る元気が出ませんでした。引返して村に近いところでスキーの練習をし、午後五時頃宿へ帰りました。この日姫路スキーの連中が別宮の方から案内を連れて鉢伏へ登り、六時頃下りてきました。なかなか苦しかったそうです。
 翌日午前八時頃私は氷ノ山越えへと向って出発しました。もちろん途中で引返す予定で弁当も持たず登りましたが、割合天候もよく山へ一つも登らぬのも残念だと思って、つい登ってしまいました。途中ブナの木も樹氷で綺麗に飾られていますし、ボサも殆んど雪の下なので気持よく歩けました。頂上には三角点の台ができています。去年の春登ったときはありませんでしたから再度測量しているのだと思われます。頂上は木がないので、雪がクラストになってカンカンです。ここへ着いたのは午後二時、雪のないときに比して、三倍以上も時間がかかっています。頂上の眺望は雪があるため一層雄大で、なんといっても県下第一の山です。帰りは同じ路を引返す予定でしたが、東尾根が楽そうなのでまっすぐこれを下ることにしました。海抜一一〇〇メートルくらいまでは割合楽でしたが、それからはボサが多く、スキーが下手なのでなかなか時間がかかりました。最後に尾根から別れて、奈良尾というところへ下る谷へ入りましたが、これはひどい谷で、絶壁のところがあったりして、大変苦しみ空腹と疲れでフラフラになって村へ下りたときは真暗でした。この村の農家に入ってめしを食い、やっと人心地がつき、午後九時大久保へ帰りましたところが、私の帰りが遅いので宿の人が大変心配し、村人に峠の方へ探しに行ってもらっているとのことでした。なんという親切なことでしょう。私はほんとうに嬉しく思いました。やっぱり山の人です。姫路スキーの連中は天候がよくなったので、明日案内を連れて、氷ノ山へ登ると言っていました。翌日私は午前八時姫路スキーの連中が出てから鉢伏へ出発しました。牧場へ出て鉢伏の急斜面を登ろうとしましたがなかなか登れません。そこでズーと西の尾根へ取付き峰伝いに鉢伏へ登りました。今日はよいお天気で、一層山が綺麗に見えました。頂上の少し手前で森林に入り、それを抜けるともう後の方に三ツヶ谷を越して扇ノ山が見え三ツヶ谷と仏ノ尾の鞍部にブナノ木ノ尾が現われてきました。氷ノ山は牧場辺からズーと見えますが、ここで見ると一層雄大です。そして驚いたことには、あの白耆の大山が真白に尖って雲のように見えることです。頂上に着いたのは十二時で、鉢伏の尖った支峰の頂上には、姫路スキーの鉢伏、氷ノ山縦走記念と書いた杭が打ってあります。ここからは妙見山や蘇夫岳もなかなか雄大に見えます。下りには急斜面を殆んど尻で辷ってしまいました。牧場を通って元の道を村へ下ったのは、午後二時で鉢伏へ登るのでもこんなに長い時間かかりました。冬はなかなか夏のように早く行けません。どこでも夏のように寝られませんから、スキーが上手にならねば思うように山へは行けないことがわかりました。食糧も冬は寒いため夏のような物では駄目なことがあります。その後私は親切な村と別れて淋しく歩きつづけました。姫路スキーの連中は早く山を下って、一緒に自動車で帰ろうと言っていましたが、ついに途中でとまったのか、私の乗った午後八時五十二分の汽車には間に合いませんでした。
[#地から1字上げ](一九二八・三)
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春山行

    三月の扇ノ山付近

 十八日午前二時半私は山陰線浜坂へ下車しました。ちょっと宅へよって五時頃ここを出発し、岸田川を遡り菅原というおしまいの村に着いたのは十時過ぎでした。お天気がよいのですぐ昼食をして、仏ノ尾へ向います。この山は菅原の南にある約一二三〇メートルくらいの山で、菅原のすぐ前のカンバという尾根を登って行きます。この尾根を登り平らになったところで、村の人が炭を焼いていますから、そこまではスキーをかついで楽に登ることができます。それから五町くらい行って西の方へ小さい沢を一つ越しすぐ取付いた尾根をまっすぐ登り、午後二時頃頂上へ着きました。私はこの山へは去年の五月、登れなかったので、これが初めてです。南から東へ三ツヶ谷、氷ノ山、鉢伏、滝川、妙見、蘇夫等が小代谷を距てて大きく聳えています。西の方は少し林にかくれますが、広い高原の向うに扇ノ山が雄大な尾根を左右に張っていて素敵です。二月頃はどこでもラッセルに苦しみますが、今は雪がしまっているので随分楽です。下りはよくころびましたが、それでも早く、カンバへ下ったのは三時頃でした。
 十九日、今日は扇ノ山へ登って、北尾根をズーと下の村へ下る予定で、午前七時に出発し、地図に道が書いてある、九一一メートルの三角点のある青山という尾根を途中まで登り、右の谷へ入ります。谷を上ってちょっと行ったところで、村の人が炭を焼いていますから、そこまではスキーをかついで行きました。そこから谷を行く予定でしたが、気味が悪いのですぐ右の尾根へ登ります。この尾根はズーと下の方へ延びた石小屋というなかなか急な尾根で、二〇〇メートルほど登るのに一時間半ほどかかりました。登り切ってから割合楽で、菅原の人が烏ヶ丸と言っている扇ノ山へ着いたのは十一時でした。頂上は木が少ないので、眺望はとても雄大です。ただ春霞のため伯耆《ほうき》の大山《だいせん》が見えなかったのは残念でした。扇ノ山を下ってすぐ北の山へ登ります。この山は私が肥前畑の人から聞いてブナノ木ノ尾という山だと言いましたが、これは間違いで実は煙がヅツコーと言うのだそうです。この山にブナ乱という鞍部があるからそれで間違ったのだろうと宿の人が言っていました。ここから一一〇三メートルまでは平坦な下りです。この独立標高点から右尾根を下り一〇一〇メートルくらいの山へ登ります。この山の東に九四六メートルの三角点のある草山があります。この三角点のある山を東ヶ丸といい、今登った一〇一〇メートルくらいの山を西ヶ丸というそうです。東ヶ丸から北側は畑ヶ平という草原で、ここらの人はいいスキー場だと言っていますが、傾斜がゆる過ぎます。私が東ヶ丸に着いたのは午後二時頃でした。畑ヶ平を辷って青下の上まで進み、ここでスキーをぬぎ村の人が木を切っていた尾根を下り、明日もお天気は大丈夫らしいのでまた菅原へ引返しました。
 二十日、今日は三ツヶ谷へ登るため午前六時頃出発し、カンバに登って西側へ沢を二つ越し、取付いた尾根をまっすぐ進み、国境に出る五町くらい前でもう一つ西の沢へ入ってこれを登りました。今登ったところ、すなわち仏ノ尾と三ツヶ谷との中間の小山は石切りという山だそうです。この石切りを離れて三ツヶ谷に取付きます。ちょっと急ですが九時半に頂上へ着きました。菅原の人は三ツヶ谷を青ヶ丸と言っています。眺望は仏ノ尾ほど木にさえぎられないため一層雄大です。三ツヶ谷を下り石切から国境に沿って進みます。途中一〇八六メートルの小山へ登ります。これは池ヶ丸というのだそうです。十一時これを越して扇ノ山の方へだいぶ進み、三角点のある尾根、すなわち青山へ向って下る予定でしたが、間違って昨日登った石小屋という尾根へ出てしまいましたので、ズーと下って菅原が真下に見えるところまで進み、そこでスキーをぬいで村へ下りました。宿へ帰ったのは午後一時で昼食後四〇〇〇尺の山々と別れて岸田川を下りました。

    五月の立山行

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 十七日 一行大木、永楽両君と自分の三人。千垣駅午前九時十分、芦峅寺着九時四十分、出発十時四十分、藤橋十一時五十分着、昼食、午後一時出発、ブナ小屋五時弘法小屋着九時。
 第二日 出発午前十一時、松尾上手午後一時、姥ヶ石二時着、三時二十分出発、室堂着六時半。
 第三日 午前九時十分出発、一ノ越九時五十分、浄土十時四十分、二ノ越着十一時五十分、出発十一時半、雄山着午後零時二十分、出発十二時四十六分、別山乗越三十五分地獄谷四時五分、室堂帰着五時二十五分。
 第四日 午前五時十分出発、地獄谷五時三十五分、別山乗越六時五十分、三田平小屋七時十五分、長次郎出合七時五十分着、八時三十五分出発、熊岩十時十五分、長次郎頭十一時二十分着、十一時四十分出発、剱岳頂上午後零時三十三分着、一時出発、長次郎頭一時半、長次郎出合二時三十五分着、三時五十分出発、三田平小屋五時三十五分、別山乗越六時四十分、地獄谷七時十分、室堂八時五分。
 第五日 午前五時四十分出発、弘法小屋八時三十分着、十時十分出発、美女平午後二時三十分、藤橋三時五十五分千垣着六時。
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 桑谷附近から雪がありました。しかし、堅いので靴のまま楽に歩けます。弘法小屋には毛布や、筵《むしろ》や、鍋等がたくさん置いてありました。弥陀ヶ原はなかなか広いので霧に巻かれるとどこを歩いているのかわかりません。室堂にはだいぶ雪が入っていますが、筵や、薪がたくさんありますし、温度も最低華氏二十六度くらいで大して寒くはありませんでした。連峰の尾根は雪が消えて全く真夏と同様のガラガラ道でした。平蔵谷はなかなか凄く見えます。尾根も雪がところどころ付いているようですから、長次郎谷を往復しました。五色ヶ原の小屋はよく見えましたし、三田平の小屋も完全に出ていました。長次郎の頭からアンザイレンして登りましたが、この尾根に一つ大きな岩があって、その東側は急傾斜の雪渓になっているので、気持が悪くちょっと一人では危険なところだと思いました。スキーを持って行きましたが、雪が堅いので無くてもよいと思いました。

    五月の槍・穂高
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 五月二十七日 小雨、柏矢町午前六時出発、一ノ沢―横通岳二七六七メートルの三角点、午後三時頃、一ノ俣小屋六時。
 第二日 晴、午前五時出発、槍の頂上午前十時、南岳三角点午後十二時、一ノ俣小屋午後三時帰着。
 第三日 晴、午前出発、唐沢入、北穂の尾根午前十時、頂上十一時、唐沢三角点午後零時、奥穂の頂上十二時半、唐沢下り五千尺旅館午後七時。
 第四日 曇、午前六時出発、前穂午後十二時頂きにて四時間霧の晴れるを待つ、午後七時帰着。
 第五日 晴、午前六時出発、徳本八時、島々駅午後零
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