のである。
 いつもブナ坂を登り切ると、悪場から開放された安心からレモン・ティ等を沸かしてしばらく休む。今年は新道ができていて美女平を通らず尾根の右端を巻いて小谷にいで、それを渡ったりなどしてしばらくは道もわかったが、すぐ道を失いあとは藪をくぐりながらほぼ旧道に沿って登って行った。ここは杉の植林がしてあり、迷えば左の方へ巻く方が楽である。
 ここまでくると天候は全く崩れて予想通り雪が降り出した。霧のためにブナ林もぼんやり霞んで遠くは見えない。ブナ坂は約一一四〇メートルから一一八五メートルくらいの広い大きな坂でよくわかる。この坂は道より少し右寄りに登った方が楽だ。これを登り切ればすぐ目の前にブナの小屋が大きく現われる。時間はまだ早かったが、雪が降り出したのでここへ泊ることにして内へ入る。小屋は二階建ての頑丈なもので、どんな大雪のときにも埋って入れぬということはないであろう。寝具、食糧、燃料等も備えてあり、五月にはたいてい番人がいるから安心だ。
 この日はお客が僕一人なので儲からないと思って番人は山を下ってしまった。天候はますます悪化して夕方から風が吹き出し、夜中には雪が雨に変って物凄い暴風雨になった。初め二階に寝ていたが、ひどくゆれて不安なので下の炊事場へ退却した。しかし炊事場も大変いたんでいてあちこち雨が洩るので一晩小さくなって寝ていた。

[#地から1字上げ]昭和十年一月一日 雪 ブナ小屋滞在
 朝になって風は落ち、雨は雪に変った。しかし、まだ急にはよくなりそうもないので滞在ときめて、食糧節約のため小屋番の残して行ったぼろぼろの飯をおかゆにして食べる。昼頃ちょっとスキーの練習にブナ林を下ってみる。雪量が少ないため藪が多く、よく転ぶのと、一人では淋しいのですぐ止めてしまう。
 この坂は二、三月頃の雪の多いときは全く気持のよい斜面で、二、三人もいてスキーの練習をしていれば実に愉快なところである。それに山の方が随分ひどく荒れていてもここは高度が低いのと、ブナの林の中なのでスキーの練習ができないということはない。僕は去年の正月、ここで一週間降り込められて弘法までさえ行けなかったが、ちょうど一緒になった名古屋三菱のパーティとともにブナ坂で転び廻ったり、小屋番や案内人と兎を追っかけたりして遊び、夜はストーブを囲んで山の話にメートルを上げる等、実に愉快な合宿気分を味うことができた。
 案内はいろいろと面白い話をしてくれた。兎を手掴みにする話や、つかまえるとニャンニャンと泣くとか、あれでもなかなかかしこく自分の行方をくらますため適当な隠れ場所があったらそれを横目で見ながら、なおしばらくはピョンピョンと飛んで行って後、附近に恐いギャングはいないかと周囲をきょときょと見廻し、やおらその隠れ場所のところまで前の足跡を乱さないように伝い、そこで大きくジャンプしてその孔に飛び込み、決してそこには足跡をつけない等と言った。こうしておくと兎の大敵|貂《てん》等に足跡を伝われても安全だということだ。夕方から気温が下り雲が動き出して天候快復の兆が見えてきた。明日の準備をして早くから床へもぐり込む。

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一月二日 小雪後晴 九・〇〇ブナ小屋 一・三〇弘法小屋 六・〇〇天狗平の小屋
[#ここで字下げ終わり]
 今朝は暗いうちから出発する予定であったが、まだ雪が降っているので出足が鈍った。やっと九時頃になってときどき雲が切れて青空が見え出し、はっきり天候恢復の兆が見えたので急ぎ出発する。小屋を出てだいたい左寄りに広いブナ林の中を登って行く。
 雪の少ない年は藪がひどく夏道通りしか登れないが、二、三月頃ならたいていどこでも通れる。称名川は足下はるかに音を立てて物凄く落ち込んでいるので、あまり端を通ることは危険である。この高原にたまった水は主に右手常願寺川へ流れているので、ちょうどこの端が広い尾根の分水嶺になっていて、ここを通ることはうるさい谷等を越したりすることもなく楽である。ブナの小屋から一時間もくるとシジミ坂というちょっとした登りがある。ちょうど地図の一二七〇メートル附近である。
 なおも称名川を見下しながら同じようなブナ林の中を登って行く。シジミ坂よりまた一時間ほどもくると尾根も多少狭くなり、かつ、右にこの高原としては割合大きな谷が現われてくる。すなわちこの谷が桑谷で地図の一四一四・八メートルの三角点の手前にある深さ四〇メートルばかりの谷である。この谷は上で二つに分れ、左の方は短く、かつ、谷は称名川の方へも落ちているので、ここで迷ったら右へ右へと取って、決してこの左の谷へ入ってはならない。
 またここは尾根が細くなる手前でトラバースしないと藪がひどく、尾根も大変複雑になっていて厄介である。桑谷へ下りたら谷をあまり登らず、なるたけ早く右手の手頃な斜面か溝谷を登る方がよい。
 一四一四・八メートル附近は伐採されたものか木もまばらな真白い平原である。この平原をしばらく進んで行くとまたブナ林が現われ、その中を一時間も登ると称名ノ滝の音がドウドウと足元から響いてくる。尾根もやや狭くなり、針葉樹の目立つところを過ぎるとこんどこそ実に広々とした真白な斜面が現われる。これが一六一二メートルの三角点のすぐ下である。
 これを登り切ればすぐ目の前に弘法小屋が見える。しかし今日は霧が深く遠くは見えない。晴れた日ならとてもよい眺めで、南の方には弥陀ヶ原の広い高原を隔て大きく胸を張った薬師岳が実に雄大に見えるし、東の方には鳶山、鷲岳、鬼―竜王、天狗、別山等が見え、大日―早乙女等とともにアーベント・グリューエンに燃えている雄大な景色は立山に登った者に忘れ得ない印象を与える。
 弘法の小屋にはいつでも水が出ているので、中へ入ってコッヘルで甘納豆をたき昼食をする。小屋には寝具、燃料、食糧等備っているので、ここを根拠地として立山へ登ったり、附近の高原をスキーで逍《さまよ》い歩くのは実に楽しくよいところである。そのうえ随分荒れている日でもここからなら安全に下山することができるので、追分や天狗平の小屋より安心である。
 冬期は多く西風が吹くのでそれに向って山を下ってくるのは大変で、ちょっと荒れても室堂や天狗平から出ることができない。弘法の小屋を出て左に浅い谷を見下しながら一五分も進むと、丈の低い針葉樹がまばらに生えた三メートルほどの坂がある。ここを過ぎてしばらく行くと右側に浅い谷が現われてくる。こんどはこの右の谷に沿って進めば一時間半ほどで追分の小屋へ着く。雪は割合しまっていてラッセルは弘法までにくらべるとずうっと楽であった。
 弘法までは樹が繁っているので二月頃には随分深いことがある。追分の小屋には富山電気局の一行が泊っていた。一行も立山へ登ろうと思ってきたのだが、昨日、今日と二日も天気が悪いので諦めて、もう今日は山を下ろうと思いそこまで出たのだが、霧のため方向もわからず今引返したところだと言っていた。しかし天気は全く良い方に変っていて、霧もだいぶ薄くなってきたし、ところどころ青空さえ見える。で、僕は「天気はもうじき良くなりますよ、なんなら僕と一緒に天狗平の小屋へ行きませんか」と誘ってみた。けれど一行はコンディションの悪い人もあるので、天気がよくなればすぐ下山しようと思っていると言った。で僕は「山を下りられるなら今僕の登ってきたシュプールが確実に残っていますから、どんなに霧が深くとも迷うことはありませんよ」と言って元気をつけてあげた。
 追分からは夏道を離れて真東にコースをとり、湯川の谷の縁へ登って行く。この附近はこれまでと違って急に針葉樹が繁り、雪が深く、傾斜も急でラッセルがつらい。尾根の手前一〇〇メートルばかりで、左へ方向を変え尾根を右山に巻いて斜めに高く登って行くと一つの段へ登りつくことができる。追分から一時間である。この頃より全く霧が晴れて広い広い弥陀ヶ原が脚下に展開されてきた。ここは地図の弥陀ヶ原の弥の字から東へ登った尾根の二一〇〇メートルくらいのところである。
 ここまでくると木もまばらになり、雪も締ってラッセルが楽になってきた。遥か後の方で人声がするので、振り返ってみると一行が後を追ってくるのであった。尾根の下七、八メートルくらいのところを巻きながら広い谷を一つ越すと、天狗の頂上からはるか下の平までつづいている雄大な斜面に出てきた。ここで一行は追いついてきて「良い天気になったので立山へ登りたくなってきた」と言ってラッセルを代ってくれた。この附近は風が良く当るので板状雪になっているところもある。なおも右山で中腹を巻きながら進むと、弘法より四時間ほどで尾根はぐっと右へ曲ってしまい、前面に天狗平が現われてくる、ちょうど立山の連峰が夕日に焼けてとても綺麗である。天狗平の小屋は地図の鏡石から東南東八〇〇メートルほどのところと思われる。
 天狗平の小屋には天狗岳に面した南窓から入る。寝室は二階で、寝床が一部分押入のように二段になっているところもある。小屋番がいてストーブは赤々と燃えているし、なんにもしないでいて暖い御飯がたべられるので、こんな高い山の上だと思われない。ちょうど山の先輩杉山さんが泊っておられて殊に賑かであった。杉山さんの話では今日は下の方こそ霧がかかっていたが、上の方は良いお天気で立山頂上の大観はすばらしかったとのことだ。小屋番はおとなしい男であったが、若い案内二人と夜遅くまで話をしていて耳障りであった。(しかし可哀想にもこの冬東京からきたパーティのお供をして立山へ登り、途中ひどい吹雪に会い、皆と一緒に雪の孔の中に避難していたが、二、三日目にとうとうこの小屋番だけが凍死したそうである。)

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一月三日 快晴 七・〇〇天狗平の小屋 一〇・〇〇立山最高点 三・〇〇ザラ峠 五・三〇刈安峠 九・〇〇平の小屋
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 今は実にすばらしい良いお天気である。冨山組四人と小屋番の案内および僕の六人で出発した。昨日登った杉山さんと案内のシュプールがあるのでそれを伝う。広い雪原を南よりに東へ向ってしばらく登ると浅い谷を渡る。二六二〇・八メートルの裾を巻き終るとまた広い谷が現われてくる。この谷にはよく雪庇ができているので、なるたけ右寄りに巻いて谷を渡る方が安全である。
 これを越せば室堂の平はすぐである。天狗平から一時間ほどで室堂に着く。室堂からは浄土山の北斜面を巻いて行く。急斜面を巻き切ると一ノ越はすぐ目の上に現われてくる。この附近は随分風が強いとみえて雪は固くなっているし、浄土側には一部雪庇ができてその下には大きなスカブラができている。一ノ越のすぐ下の固い雪の斜面をキック・ターンしながら登れば室堂から一時間ほどで一ノ越の上にのぼれる。たいてい風は西から吹き上げてくるので風陰を求めて黒部側へちょっと下り、そこでスキーをアイゼンにかえる。
 乳菓等を少したべて元気をつけてから登る。小屋番の案内はアイゼンを持ってこなかったので、頂上へは登れない。冨山のパーティも夏山用の不完全なアイゼンを履いているので早くは登れない。一ノ越から頂上までのあいだの尾根は最初ちょっと雪のやわらかいところと、岩の出たところがあるがだいたい固い雪の道で、ところどころ風で夏道の出ているところもあり、夏と殆んど変らない時間で登れる。
 しかし風はなかなか強く寒いので、防風用の服を着、顔は毛皮で頬冠りをした上、スキー帽も冠って登る。頂上の社務所のところはまだ雪がやわらかくところどころ落ち込む。僕は雄山神社のところへ登った後、大汝の方へ二十分ほど縦走して行って立山の最高点へ往復する。この最高点から雄山神社を越して薬師岳が見えるし、大汝の上には黒部谷下流の白馬側の山が見える。冨山のパーティのうち頂上へは二人しか登らなかった。他の二人は追分の小屋にいるときからすでに消耗していた人である。頂上へ登ったリーダーらしい方の人は、これで春夏秋冬と立山の頂上へ登ることができて本望であると言って喜んでいた。一ノ越で一行から蜜柑《みかん》を御馳走になる。
 一行がスキー
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