を楽しみながら一ノ越を下って行くのを見送った後、コッヘルで甘納豆をたいて昼食をすまし、十一時にここを出発する。スキーはアルペン担ぎにし、両テールは紐で腰に縛り付けてぐらつかぬようにする。尾根の雪は固く一時間ほどで竜王岳のところへくることができた。ここで荷物を置いて竜王岳の頂上へ登ってみる。頂上は別に変ったこともないが、高いところを素通りすると後で心残りになるからである。
竜王の下りは随分急であった。しかし雪がやわらかいので危険ではない。だいたいにこれから鬼ヶ岳へとつづいた尾根は右側の湯川へ面した方がひどく落ち込んでいて噴火口壁であることをはっきり現わしている。尾根の雪は意外にやわらかく下りは安全だが、ちょっとでも登りがあると全く骨の折れるところであった。しかしザラ峠への下りは雪もよく締っていて、危険もない斜面なので走って下ることができた。一ノ越からこの峠まで三時間半ほどである。
またコッヘルを使って軽い中食をし、元気をつけて後やはりスキーは担いだまま五色ヶ原へと登って行った。そして五色ヶ原の小屋がすぐ目の前に見えるところで初めてスキーを履く。五色ヶ原の小屋は大半露出していて楽には入れそうである。もし冬期も寝具が置いてあるなら二、三日くらい泊ってスキーの練習をしたいところである。小屋から斜め左にしばらく滑ってゆるい谷を渡り、鳶山二六一四メートルから一九五一・五メートルへ下った東尾根へ取付き、この尾根をドンドン下る。
初めのうちは木もまばらな広い尾根でとても愉快な滑降を楽しめたが、漸次尾根は細くなり、左側は急に落ちているので右側ばかり巻かねばならず、そのうえ今日は冬には稀な良いお天気だったため、雪が溶けて夕方にはブレーカブル・クラストに変化してきたうえ、大晦日《おおみそか》の雨はこの附近もひどかったらしく、木の根元に大孔を穿《あ》けているので思うように飛ばせない。一九五一・五メートルの手前の刈安峠には、四日ほど前に通ったパーティ(登山者一、案内二)のシュプールがかすかに残っている。一行は一ノ越から御山《おやま》谷を途中まで下り、二〇五〇メートルくらいの尾根を越して中の谷へおり、のちここへ登ってきたものであろうと思う。その後はこのシュプールに沿って下れるが、雪はますますひどいクラストに変り、かつ夕闇はせまってきて峠を半分も下らないうちに足元も見えなくなってきた。
なおも懐中電灯の光をたよって下って行くうち、とうとう左へ巻くところでシュプールを見失ってしまった。後戻りするのは厄介と思ってそのまま下ったら、川の岸はひどい藪の上、急斜面で河原へ下るのは大変困った。朝の出発をもう一時間早くすれば、ここで迷うことはなかったであろう。河原は随分広く川は一部分流れているだけであった。
徒歩は一度しただけで一カ所は丸木橋があった。やっと左岸の林の中でシュプールを見つけ、難なく平《たいら》の日電の小屋へ着くことができた。ここには三人合宿しておられて、いろいろと御馳走をして下さった。温泉に入ったり、ラジオを聞いていたりすると全く黒部谷の中とは思われないほどである。
[#地から1字上げ]一月四日 雪 平の日電小屋 滞在
昨日の晩は星がキラキラとひどく瞬いていたが、日電の人が気圧計を見て明日は雪ですよと言った通り、朝早くから雪がドンドン降っている。滞在ときめていろいろ山の様子を聞く。この平の日電の小屋は社宅で登山者を泊めてはいけないのだが、僕は一人でもあり、随分遅くやってきたので、気の毒だと思って泊めてくれたので、前のパーティは平の小屋で泊っていたそうだ。そして二、三日前、烏帽子へ登ると言って谷を上って行ったという。
[#ここから18字下げ]
一月五日 小雪後晴 九・〇〇 平の日電小屋 五・三〇針ノ木峠の小屋
[#ここで字下げ終わり]
今日も早朝はまだ雪が降っているので出足がにぶったが、八時頃から雲が動き出して青空がときどき見え出したので、いろいろとお世話になった日電の人々と別れて平を出発する。黒部の籠《かご》の渡しにはちょっと参った。スキーとルックザックを縛りつけると乗るのが大変である。この籠が岸を離れるときの気持は、アップザイレンの出しなと同様気味の悪いものであった。またかじかんだ手で綱を引張ってもなかなか引掛って動かなくなったり、だんだん登りになってくるに従い動きが悪く実につらかった。
やっと河原へ降りてしばらくスキーで行くと右へ針ノ木川を渡らなければならない。水量は僅かで危険ではないが、靴に水が入るので濡れてもよい一時凌ぎの靴下を履いて行く方が良い。また左側へ渡り等して上っていくが、随分以前に一度通っただけなので道をよく覚えていない。そのうえ去年の風水害で橋は全部流されてしまっているので渡るところがよくわからない。ところどころ大晦日の雨でと思われる雪崩が左岸には出ている。
今年は積雪量が少ないためかあまり大きな雪崩は出ていないようだ。大半道は右岸を通っている。針ノ木の西尾根には岩場があるから雪のよく降る日は雪崩も多く出るだろう。
一八九二メートルの出合からちょっと上は谷が細く、両側から雪崩の出そうなところである。ここを過ぎると丈の低い山はんの木[#「山はんの木」に傍点]のはえた広い谷で、全く開放されたような気がする。しかし雪のよく降る日ならここから上が最も危険なところであろう。蓮華岳側はあまり問題にならいが、針ノ木側は岩場もあり、そのうえ風陰なのでよく出るに違いない。山はんの木[#「山はんの木」に傍点]が少なくなるとだんだん傾斜が急になり、谷もいくつかの小谷に分れる。霧が晴れてきて、針ノ木峠の小屋が見え出したので迷うこともなく、小屋の右側の小谷を急なキック・ターンを繰返しながら登ったが、意外に時間がかかった。
針ノ木峠の小屋には黒部側に面した南窓から入る。蒲団《ふとん》は梁《はり》に掛けてあり、その上にゴザを冠せてあった。食糧や燃料は無いようである。雪は南側の窓のある方には随分入っていた。
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一月六日 快晴 針ノ木峠の小屋よりスバリ岳往復三時間半 一一・〇〇小屋を出発 五・〇〇大町
[#ここで字下げ終わり]
今朝はすばらしい良いお天気なので針ノ木岳とスバリ岳に向って小屋を出る。随分風が強く、寒いのと急な登りなのでちょっと参った。針ノ木の頂上からスバリへ下る尾根は急に落ちているが、風が良く当るため夏道が出ているので簡単に下れる。スバリの最高点は一番北の端なので、そこまで行って一つのケルンの中に名刺を挟んでおいて引返す。針ノ木峠の下りは張りシールのままなので直滑降をしたが、雪がやわらかく雪崩の跡もないので、あまりスピードは出なかった。
二一五〇メートルくらいへ来ると左の方から出た古い雪崩の跡があり、二〇〇〇―一九〇〇メートル附近は全く雪崩で荒されていた。大沢の小屋によって夏道をしばらく伝ってみたが、藪が多いので谷へ出てそれを下った。扇沢の手前でまた夏道に戻り、シールをめくって漕いだが、天気が良いので滑らず、神《かみ》ノ田圃《たんぼ》の早稲田のヒュッテで合宿をしていた山友達の乗った汽車に間に合わなくて残念であった。
[#地から1字上げ](一九三五・一一)
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冬山のことなど
天候について
天候は初冬の頃は一日のうちでも晴れたり曇ったりというようによく変化をするが、そのかわり大した荒れはない。すなわち晴天と荒天が曇天を中心として振りわけに小さい波形で変化をして行くのである。真冬になるに従ってこの変化の中で曇天から下の荒天の部分の波がだんだん大きくかつ長くなり、たいてい晴天一日、曇天一日、荒天二日という調子を繰返すようになる。そして春が近づくとまた初冬のように振りわけの波形に変るが、今度は大変ピッチの長い波になるようである。すなわち二日も三日も晴天がつづいたり、また荒天がつづいたりするのである。しかしこれらの天候中晴天の日と曇天の日はまず安全な登山日和だといえる。
晴天になる前兆――普通降雪後は風が出て、一ノ俣の小屋だとか、弘法、猿倉、大沢小屋……等のように山の中腹以下から見ていると、ときどきこの雪雲が切れてその隙間に青空が見え出す、もちろん槍肩の小屋だとか、室堂、白馬頂上小屋、針ノ木峠小屋……等のように山頂附近からならこの雪雲は霧であって、この霧の切れ目に青空が見え出すわけである。そしてまたこれが暗いときならこの雲や霧の切れるごとにチラリチラリと星が見えるのである。もうこうなれば天候は全く快復しているのである。ただし雲が切れて行っても青空が見えぬとき、すなわち上空がまだ曇っているような場合はもう一度荒れると確信してよい。山頂附近には両方とも雪を降らすが、山麓では第一回の荒れが雨で、第二回目の荒れには雪に変るのであって、こういうように気温が下って行って初めて晴れ上るのである。
降雪が夜中に止むと朝方には山の中腹に霧が立ち込めていることが多い。しかしこの霧は一部分に薄くかかっているだけで、夜が明け出すと非常に明るく感ずるからよくわかる。こんなときはたいてい丸一日晴天だから夜が明けてから様子をよく見定めて後出発しても遅くはない、で気をつけてこの機会を取り逃がさぬようにしなければならぬ。降雪が午後からやんで夜通し星が出ていれば、その間晴天が逃げて行くわけだから、翌日はできるだけ早く出発して午後には安全地帯に到着しているようにしないと荒天に逢うおそれがある。
荒天になる前兆――晴天であった日の夕方にわかに生暖い風が吹き始めたかと思うと青空に刷毛で掃いたような雲ができる。また谷間に雲がボーッと浮いて、それが見る間に拡がって上昇を始め、たちまち山も谷も辺り一面を包んでしまうこともある。だが、普通は南々西の方に雲ができて、それがだんだん南風に運ばれてきては知らぬ間に消えているうちしばらくすると上空が白く曇ってくる。こうなれば全く天候は崩れてきた訳である。朝焼けのするのは上空が曇っている証拠であるから、朝焼けも荒天の前兆である。そしてこの上空にできた雲はすぐ下ってきて雪になる。
以上の二つの場合を連絡してみると、雪の降り方がだんだん減って、雲が薄くなり始め――全く雲や霧が消えて晴天になり――中空にポーッと綿のような雲ができてそろそろ天候が崩れ始め――上空が白く曇ってくると、もう全く天候は崩れてすぐ雲は下って雪を降らすということになる。だから最初の雲や霧が薄くなり出して隙間に青空の見え出したときに登山を開始するのが最も安全な訳である。
雪崩について
降雪――普通降り始めは湿雪でだんだん乾燥雪に変って降雪が止む。雪質が乾燥しているほど雪崩れやすく、また風等の外力の影響を感じやすい。しかも雪崩の速度も早く、傾斜のないところまで飛んで行って被害を及ぼすものである。だから降り始めよりも、降雪の止む頃の方が危険である。冬の降雪はたいてい一日くらいで止むが、稀には三日もつづくことがある。この場合こそ最も大きな雪崩の出るときである。故に日数の都合で降雪中の登降を試みるなら、雪の降り始めに行うべきで、決して降雪の止む頃に敢行してはならない。
降雨――雨量が少量の場合は湿雪の降ったのと同様、概して雪崩を誘起しないが、多量のときは積っている雪の中まで浸潤して、その雪を湿潤雪とし最後には粒子のあいだを流れて滑剤となり、恐るべき雪崩発生の原因となる。冬期に降雨のあることは稀であるが、それでも一月に一、二度はあるらしい。雪崩の起るのは多く急傾斜のところで被害も緩傾斜のところへは及ばないようである。そして積雪量の少ないところは底雪崩となりやすいから地肌にも影響される。
降雨直後の晴天の日は、冬から急に春に変ったと思われるほど暖い日でない限り、すなわち普通の冬期の晴天なら雪崩は他のいかなる場合よりも少ない。相当の粉雪量が積った上に風、日光等で丈夫なクラストを作っている場合は、それに雨が入り込むと中の粉雪は湿雪に変って容積が少なくなりクラストの下に中空を形成するから、もし表面のクラ
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