れが当っていた。常念の肩には大きな雪庇ができるように聞いていたが、もう落ちてしまったのか、問題にするほどのものはなかった。常念の小屋が出ているから、一人では不安だが、窓の位置さえ知っていればちょっと掘るだけで入れるだろう。中山峠の一ノ俣側は小さい谷でちょっとわからないが、地図の見当で当っていた。新雪期は悪い谷らしいが、雪が堅く、登りも思ったよりわずかなので何でもなかった。しかし二ノ俣側は思ったより谷が大きくスキーにはよさそうだ。二ノ俣の本流との出合の辺はスノウ・ブリッジがあって何でもなかったが、下の方は川が予想外に大きく流れているので悪いところをしばしば横へつりさせられて弱った。二月頃は川が埋るかも知れないが、もし埋らないならこの頃より一層悪いだろう。また赤沢岳からは底雪崩の凄い奴がたくさん出ているから、雪崩の方もなかなか油断のならないところだ。また中山峠を越さずに一ノ俣を下るとしても、滝のところで凄い横へつりをさせられ二ノ俣より危険かも知れない。五月に通ったときは柏矢町から一日で一ノ俣の小屋まで楽に行ったが、冬から春の間はちょっと困難だろう。
 いずれにしても新雪期はなかなか時間が長くかかるから、単に一ノ俣の小屋に行くだけで常念山脈に興味をもたぬなら、徳本峠《とくごうとうげ》を越すか、沢渡《さわんど》を廻る方がいいと思った。徳本峠もときどき吹雪等のときに迷って霞沢岳の方へ行ったということを聞くし、吹雪がなくとも、新雪期はラッセルと登りに苦しみ、なお雪崩の危険も免れないのだから沢渡廻りが最も安全ではなかろうか。

    沢渡――上高地

 乗合自動車はたいてい稲核《いながき》までしか行かない。スキーをかついで、あの道を歩いていると一月の乗鞍のよかったことが思い出される。あのとき早稲田の人は遭難した人を探してやろうという気がないのか、やむを得ぬ事情があったのか、すぐ山を下りてしまった。少なくともあの辺の人より早稲田の人の方が山をよく知っているだろうし、同じように登山をしている人が行方不明になったというのに、なんだか人情がないような気がした。しかし僕は番所原の宿屋の人に冷泉の小屋から追い出されてしまったが、乗鞍の頂上に登った後であったので幸いであった。
 沢渡の少し手前に家が二軒ある。そこで泊る。ちょうどあの時捜索に行った人の家であったので話に花が咲く。
 梓川伝いの道は馬車が通るほど広く、雪があってもときどき人が通うくらいで、今年はさほど悪いことはなかったが雪がウンと降ったときは雪崩の出る危険なところがたくさんある。しかしこの道は吹雪いても迷うこともなく、ラッセルも楽だし、途中ところどころに小屋があり、中ノ湯等は防寒具もあるうえ松本から一日でくるのも困難ではないようだから徳本峠よりズッと安心だ。中ノ湯の上の長い隧道を出てからは夏道は橋のないところがあって困ったが、ここも積雪期は夏道を避けて河原に下り、川床伝いに行けば安全らしい。狭い谷伝いを終って広々とした上高地に入ればもう心配はない。発電所の水の取入口があるので、ここへよって上高地の状態を聞く。積雪量は二尺くらいで、温度は最低摂氏氷点下十三度くらいだという。上高地温泉には下赤松の奥原吉次郎という爺さんが番をしていた。この爺さんは上高地に雪が降りだし、人々が山を下ってしまった後の長い長い冬のあいだを、一人で温泉の番をし、ときどき訊ねてくる登山者の世話をしているのだ。そして再び春がやってきて、上高地の雪も消え、人々がまた山へ登ってくる頃になると、温泉の裏の静かな山の中で、ただ一人木をきりながら暑い夏を過すのだという。
 十三日はあまりひどい吹雪ではなかったが終日つづいて、一ノ俣まで行くには差支えないと思ったが、常さんや発電所の水の取入口の人が遊びにくるので、ついのびてしまった。炬燵にあたって爺さんに山の話をしてもらっていると、山にきたことを忘れてしまいそうだ。

    上高地――一ノ俣

 早朝星が出ていたので、爺さんに頼んで早く出発した。暗かったため、六百山の裾でちょっと迷ったし、明神池に行く橋を渡って、池の奥の方へ入ってしまい、一本橋を渡ったりした。それでも河原に出てからは風で雪が締っていて思ったより楽であった。横尾の出合から一ノ俣の小屋までは地図よりだいぶ長いようだが、ちょっと高廻りをしただけで、徒歩は一度もしなかったし、岩場のようなところも歩かなかった。四月にはこの徒歩と岩場とで二月の二倍の時間がかかった。一ノ俣の小屋は炊事場の戸が開いていたのでそこから入る。積雪量は四尺くらいで思ったより少ない。水は近いし、炊事道具は置いてあり、蒲団もたくさんあるし、雪に埋れて入れぬということもないらしいので冬期の使用小屋としては完全なように思う。スキーを練習するにはちょっと不便だが、槍沢にも横尾谷にも近いので山へ登るにはいい地点だ。

    槍沢

 横尾の出合から一ノ俣まで、ラッセルと高廻りで少し悪いが、一ノ俣から上は一ノ俣と二ノ俣の橋さえ完全なら楽だ。これらの橋も雪溶期は流されることがあるようだが新雪期は大丈夫だろう。川は赤沢岩小屋辺から完全に埋っている。槍沢の小屋まではスキーが相当沈むが、この小屋から上は風が強いので雪がよく締っていてアイゼンに変えてもいいくらいだ。三、四月頃のように表面だけクラストになっていて、スキーは横辷りし、アイゼンなら一尺も二尺も潜る等という雪とは違うので、スキーの上手な人は槍の肩までスキーを使うことができるし、アイゼン党はアイゼンでドンドン登ることもでき、夏より楽だろう。雪崩は新雪のものがたいてい谷から押し出している。大喰岳と槍の肩から出たのは大きな奴で、大槍の小屋のちょっと上までも押し出していた。新雪期は雪の降っている日に出るらしい。小屋は槍沢も大槍も殺生も槍の肩もみな屋根だけは出ている。そのうち大槍の小屋は風が強いので一番よく出ていた。槍肩から吹き下ろす風の強いのには驚いた。東鎌尾根や横尾を吹いて行く音の物凄さといったら身顫いするほどだ。顔と手はどうしても皮の物を使わねばならぬと思った。鼻と口のところは呼吸をするので、それが凍って凍えそうだ。槍肩は西から吹き上げた風がすぐ槍沢へ吹き下ろすので、雪庇はできないらしい。槍の穂についている雪は凍っていないし、また雪崩を起すような軟かい雪でもなく、アイゼンでちょうどいいくらいに締っている。しかし傾斜が急なので手掛りのあるところでないと不安だ。それでほぼ夏道を右に見て、南向きの岩尾根を登り、頂上附近で夏道に上った。頂上は肩や槍沢等よりズッと風が弱く、長くいてもさほど寒くない。雪も少ししかなく、祠も三角標石も完全に出ている。子槍と大喰岳のあたりがときどき見えるだけで、霧のために冬山の大観は得られなかった。
 二月頃は快晴という日は一週間に一日くらいしかないようだ。しかし十四日と十五日に朝四時頃星が出ていたし、雪もちらちら降ってくるという程度であったから、晴天のうちかもしれない。
 槍沢の雪は僕の歩いた二日ともアイゼンでちょうどいいくらいに締っていたから、こんな日は雪崩の心配はないらしい。
 上高地は弥陀ヶ原のように凄く吹雪かないから、遊び半分に行ってもいいと思う。

    立山

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三月十七日 快晴 千垣九・二〇 藤橋一一・三〇―一二・一五 材木坂頂二・四五 弘法六・三〇
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 雪は千垣で二尺、藤橋で四尺くらいはあった。藤橋まで人の歩いた跡があるのでスキーはかつぐ。藤橋には土木工事の人がいつでもいるが、ホテルの番人は一、二月頃はいない。材木坂は森林帯だから危険はないが、天気がよかったのでスノウ・ボールがドンドン落ち、気味が悪い。スキーの下手な僕は三月の立山の嶮は材木坂ではないだろうかと思った。この坂を登りきってからは、スキーは一寸くらいしか沈まないので楽だ。富山高校の人が立山に登り、三日ほど前に下りてきたというシュプールが残っているし、積雪期は見通しがきくので道を迷うことは少ない。薬師から大日までの山がアーベント・グリューエンに燃えて素敵だ。弘法小屋は屋根がちょっと出ているだけで、南側の小さい窓から入る。毛布がたくさんあるので火は焚かない。水は小屋の中の炊事場に流れている。

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三月十八日 晴 弘法五・四五 室堂九・一五 雄山神社一一・〇〇 弘法一・三〇―二・〇〇 材木坂頂三・四五 藤橋六・〇〇 千垣七・五五
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 今日もいい天気だ。フライ饅頭をウンと食って出かける。雪はウインド・クラストになっていてラッセルは楽だ。鍬崎山がモルゲン・ロートに燃えている。天狗平で真白い雷鳥(目や嘴や尾の一部は黒いようだが)が白樺の枯木に止って連れを探して鳴いている情景は冬にはとても見られぬ。室堂の北側はスカブラになって土台まで出ている。この辺の積雪量は去年の五月(大木君、永楽君と来た)と変らない。一ノ越の少し下でアイゼンを履く。尾根はアイゼンでちょうどいいくらいの雪がズッとつづいている。風が少しもないので暑い。雄山神社の雪のツララが溶けて落ちるくらいだ。乗鞍以南は春霞で見えぬ。笠、黒部五郎、薬師等は真白だが、槍、穂高、後立山の連峰は思ったより黒い。帰りは雪が溶けてあまり辷らなかった。天候も崩れそうだし、予定より早く弘法に帰れたので、荷物をまとめて山を下る。風が少し出てきて天狗平の尾根は小さい雪煙を上げている。森林帯に入ってから佐伯八郎ほか三名を連れた三人のパーティの登ってくるのに出会う。また材木坂には時間を食われる。藤橋でスキーを脱ぐ。二日間の晴天でこの辺の雪が大変少なくなったのに驚く。

    奥穂高岳

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三月三十一日 晴後雪 柏矢町六・三〇 山番小屋八・五五 常念小屋三・一五 中山峠五・三〇 一ノ俣の小屋八・三〇
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 一ノ沢を取り囲む山は二月よりはズッと雪が少なくなっていた。一四〇〇メートルくらいからスキーを履く。だいぶ以前に通ったらしいパーティのシュプールがところどころ残っている。谷が狭くなってから左側の小さい尾根に常念道と書いた布が結びつけてある。ここを過ぎすぐ左から入ってくる小さい谷を登る。このときは雪が降りだし霧が巻いて山が見えなくなった。この谷は雪崩が出ていて靴のまま歩いても苦しくなかったからスキーはかつぐ。コルには雪庇といわれるほどのものはなかった。尾根は今降った雪がついているだけだが、森林帯は雪が多く、常念小屋は屋根が出ているきりだ。ここから下りはスキーによいと思っていたがタンネが茂り過ぎているし、雪がパンパンになっているので上の方はスキーをぬいだ。中山峠は初めてで心配したが地図の見当であたっていた。上下ともスキーをかついで雪崩の跡を伝う。思ったより楽だ。二ノ俣は大きな川が流れているので、しばしば高廻りをさせられた。赤沢岳から底雪崩の凄い奴がたくさん押出しているし、暗くなり雪も止まぬので随分弱った。一ノ俣の小屋には法政の人々が泊っていたので大変御馳走になった。ルックザックを干して寝たら、夜中には火の中に落ちてだいぶ焼けてしまった。僕は山では火の恩恵に浴されないらしい。

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四月一日 快晴 一ノ俣一〇・〇〇 唐沢谷入口一二・三〇 奥穂高の岩場四・四〇―五・二〇 唐沢岳五・四〇 横尾岩小屋一〇・三〇
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 今日はいい天気になって、大喰岳がモルゲン・ロートに燃えている。法政の人に針と糸を貰ってルックザックを縫い、不要の物は小屋に置いて、その人達と一緒に一ノ俣を出発する。横尾の出合までは二月よりズッと悪くなっている。法政のパーティは上高地へ下る。横尾谷は川床伝いに登る。屏風岩から塵雪崩が盛んに落ちて、昨日の新雪は黒い岩に変ってしまう。唐沢谷には北穂高の東尾根から相当雪崩が出ている。二六〇〇メートルくらいまで登ってからアイゼンに変える。脛まで潜るところもあるが雪崩の跡を伝って肩へ登った。寒い風が吹いている。奥穂の
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