が出來る。
〔染付と赤繪〕
日本の染付を支那で青華(青花)といつてゐる。日本ではいろ/\に名をつけてゐるが、古渡、中渡、新渡といふのは支那から渡つてきた年代で凡そ區別しての謂ひであらう。
支那明代に於て染付、赤繪が最も發達し又いゝ作品を遺してゐる。ゴス(呉須、呉洲、の字を用ふ、藍繪のこと)の發色が明代のものは堪らなく味がいゝ。美人の玉の肌に刺青をしたやうに、藍が滲み込んでゐる。藍の色に氣品がある。支那の景徳鎭は昔から日本に喧傳された支那陶磁の本山であるがこの景徳鎭で政府が管理して燒いた時代、即ち官窯であつた。この景徳鎭に關する文献が支那の燒物を研究する基礎となる。機をみて「陶器全集」に、其の解説を加へたいと思つてゐる。
古染付と日本で呼ばるゝものは、明代のもの、乃至は明清に亙る間のものを指してゐるやうである。虫くひ、とか、ほつれとか古染付の口邊の疵を氣にする人があるが、私など、古染付にさういふ疵がないと淋しい感じがする位好きで、一種の景色、味、を感じてゐる。ゴスの繪は明代の繪畫をみるやうである。明時代の繪畫を買つたら大變な値であるが、我等やきもの黨は明代の染付を割合
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