たりしたものである。ところが、時代が惡くなり、趣味好尚が墮落するにつれて、是等の自然のゆがみを曲解して、器物のどこかに歪んだ景色がないと承知しなくなつた。さうして御苦勞にもロクロの時から故意に歪ませたり、凹ませたり、いびつにしたり、不自然なでこぼこをつけるやうになつた。この惡趣味は、獨り茶器ばかりでなく、各方面に及んだことは、時代の所爲《せゐ》で致し方なしとしても、工藝品に及ぼした影響はひどかつた人爲的な歪められた燒物を今日まで猶われらは目にしなければならぬ。假りに人爲的に歪められた物を月並風流といふならば、明治、大正を通じ、昭和の今日も猶月並な所謂風流がつた作品に接するの何と多さよ、と慨かるゝ。
 古いものに良い品があるといふことは正しいものが多く又變つたものでも自然な歪みのあるものがあるからで、徳川中期以後の不自然な意識的なでこぼこ風流を知らないからである。即ちやきものの生れる時代がよかつたし、あらゆる條件がよかつたからである。
 徳川中期――殊に化政以後の燒物は皆が皆惡いといふのではない。木米の如き頴川の如き京都だけ考へても名工が輩出してゐるが、是等の名工は時代の流れに押されてへ
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