冷靜に鑑賞し、懷中と相談して自由に撰擇し得ることも亦われらの樂しみである。
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   觸

【持ち方】
 やきものは目に見る――さうして手に觸れるといふことが大切である。茶道でも茶わんなどの持ち方をやかましくいふ、これは燒物を大切にすること、取落してはならないといふ扱ひ方の禮をいふのであらうが、眞の目的は或は觸覺をたのしむにあるかもしれない。觸れて作ゆきを細かく見る、隅から隅まで仔細に鑑賞する、さうして器物のもつ氣格を受けいれるといふことは、無論大切な條件である。すべての燒物は手に觸れた感じが大切であるといふことを逸してはならない。
「手を觸る可からず」などいふ制札が器物についてゐたとしたら、その器物の姿と裝飾とを見るに止まつて、底部の大切なところは見ることが出來ない。恰も博物館などの陳列を見ると同じで、長次郎の茶わん「玄翁」でも仁清の眞壺でも高臺の引しまり、力、土味、斯うした大切なところを見ることが出來ないのは實に一種の「殘念物」である。
【燒物の玩讀】
 貧乏徳利でも、番茶碗でも、手に觸れるといふことが鑑賞上の大切な條件である。重い、輕い、重量ばかりでなく、手で撫して以て
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