字、36−1]など氣にしないで、本質的に燒物の良さ古さを見ぬくことである。これはむづかしいやうであるが、多くを見、多くを調べ、又前からいふやうに時代と器物の關係を見透すことが出來れば、さう/\間違ふものではない。――しかし、夫れがむづかしい、若し銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、36−5]に便るとするならば矢張「時代」といふことをあたまに置き「時代の文字」「時代の刻印」を腹に入れておけばよい。時代の文字は幾ら眞似をしてもうまくゆくものでない、人の神經に時代といふ血が流れてゐるのだから眞似は結局眞似で、字のどこかにウソがある、ウソといふのはウソ字ではない、調子のとれぬところ、ためらつたところ、筆や箆や釘の先で書いた字でも、どこか空虚なウソがある。※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、37−1]印とてもさうである。印の形ばかり氣にしないで、印を捺す呼吸、印を押す氣合ひといふものは、眞作家と、僞作家と、どことなく違つてゐるものである。いゝ器物は必らず字も印もいゝに定つてゐる。こゝのかんどころ[#「かんど
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