。最も左なるが鳩巣の墓にて、次が其妻の墓、次の二墓が、鳩巣の子の勿軒夫妻の墓也。鳩巣は新井白石と學友たり。而して白石は才を以て働き、鳩巣は徳を以て立てり。殊に鳩巣に偉とすべきは、赤穗義人録を著はしたること也。赤穗四十七士が君讐を報じて間もなき程にて群議紛々として是非一定せざりしに、一たびこの義人録出でて、天下の公論始めて定まれり。水戸義公の湊川の碑、鳩巣の義人録、これ當時好一對の美事也。
 鳩巣の墓の南に接して柴野氏の墓地あり。その中に栗山の墓あり。またその南は尾藤氏の墓地、二州の墓あり。またその南は古賀氏の墓地、精里の墓あり。其子※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]庵の墓もあり。※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]庵の子茶溪の墓もあり。茶溪までは、三代相つぎしが、茶溪は明治十七年に死して、まだに木標のみにて石塔が立ち居らず。鳩巣より始めて、墓地はだん/″\南に開けたり。而して墓もだん/″\大きくなれり。即ち精里父子の墓最も大にして、鳩巣の墓最も小也。岡田寒泉の墓は、栗山の墓の前方、雜木草莽の中に孤立す。よく/\注意せずば、見おとすべし。栗山、二州、精里は、寛政
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