の三博士と呼ばれたる巨儒也。この際、學政の上には、林述齋といふ林家中興の英傑あり。政治の上には、松平樂翁といふ賢相あり。儒教の最も盛なりし時代にして、今日存する聖堂は、この際の建築に係れるもの也。寒泉も栗山と同じく儒官にして、好評ありしが、二州、精里と入れちがひに、出でて代官となり、治績大いに擧れり。當年の一人材也。
 鳩巣は亨保十九年に七十七歳にて逝けり。寒泉は、其れより後七十三年、文化四年に、七十一歳にて逝けり。栗山も同じ年に七十四歳にて逝けり。二州は文化十年に六十九歳にて逝けり。精里は文化十二年に六十八歳にて逝けり。何れもみな學者といふ者は、長壽也。
 儒者棄場とは、學者を侮辱したるやうに聞ゆれど、儒學盛なるにつれて、儒葬行はれ、其儒葬のさまが、普通の葬式とは異なりて、餘りに無造作にて、俗眼には、たゞ死人を棄てに行くやうに見えしかば、世俗は世俗通りに解釋して、棄場とは云ひける也。
[#地から1字上げ](明治四十三年)



底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5
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