第一青山、第二谷中、第三染井と、東京の墓地を數へ來らば、第四には、こゝの墓地が入れらるべし。豐島御陵の東に接して、儒者棄場もあり。この墳墓の岡に、眞言宗豐山派の豐山大學、豐山中學もあれば、女子大學の寄宿舍もあり。晩香寮とは、中學教育程度にて嫁する女に對しての名にや。大鬼小鬼夜哭するの地に、明日の榮華を夢みる青春の男女の集まれるかと思ふにつけても、つく/″\『孤村至[#レ]曉猶燈火、知有[#二]人家夜讀[#一レ]書』のあはれなるを覺え、『骸骨の上を粧うて花見かな』の一層痛切なるを覺えずむばあらず。
儒者棄場、今は學者塚と稱す。護國寺の門前を東に行き、坂に就かむとする處より北に行くこと一二町、路三つにわかる。中央の路最も大に、右の路やゝ小に、左の路最も小也。その最も小なる路を取り、つき當りて右折し、間もなく左折すれば、儒者棄場に達すべし。室鳩巣、岡田寒泉、柴野栗山、尾藤二州、古賀精里、同※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]庵など、江戸時代第一流の儒者の墓多く集まりたり。いづれも、みな幕府の儒官也。
鳩巣の墓は、今は畑の中に、杉垣にて、かこひこまれたり。四つの小さき石塔相竝ぶ
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