店なきまゝに、われ理髮せざること久し。石井氏は見かねしなるべし。さらばとて行く。店頭の時計、一時間も進めり。あまりに進み過ぎて居るに非ずやと云へば、然り、わざと進めたるなり。今日は早く店を休みて、御演説を拜聽せむとす。仕事は今日に限りたるに非ず。先生の御演説は、今日を除きて、また拜聽するの時あらむやといふ。口先ばかりのお世辭では無きやう也。石井氏の老大人、一代にて身上を起し、鉅萬の財を積みけるが、慈善心に富みて、能く散じ、村人之を仰ぐこと神の如しなど物語るに、われ圖らずも、石井氏の由來を知り、いとゞ感激に堪へざりき。

        四 山中の一軒家

この夜、石井氏の家に宿し、翌日佐貫を經て歸らむとすれば、石井滿氏、小學校長谷中市太郎氏と共に送り來りて、湊河口の濱邊に逍遙し、終に旗亭に淺酌して相別る。佐貫にて自動車を下りて徒歩す。暑さ甚だし。四郎おくれがちにて、ぐず/\いふ。背に負へば忽ち元氣になる。昨夜の歡迎會に、五分演説を爲したる者もあり、土地の俗謠を歌ひたるものもあり。その俗謠を思ひ出して、
[#天から2字下げ]鬼涙山から飛んで來た烏
と云へば、背中の上にて、『鬼涙山から飛ん
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