くあまれり。茶屋を守るは、老女一人、針仕事をなす。小猫、その傍に眠る。忽ち飛びたちて逃ぐるを何かと見れば、小犬來れる也。進んで我前に來たる。ふと思ひつきて、するめを與ふること幾回。景色を見入りて、與ふることを忘れしひまに、はや、いづくにか去りぬ。左の袂の方にて、にやアといふ。犬を好みて、猫を好まざれども、さまで嫌ひにもあらず。皿を見れば、するめ猶ほ殘れり。ありツたけ與へけるに、するめ盡きて、猫も亦去りぬ。
 臺を下りて渡舟に乘る。舟夫は、額のつんだる、正直さうな男也。どうして、このやうに水が少なきぞと問へば、いつも、今頃は、この通り也。山がこほる故、水流れ出でず。氷とくる頃には、また水が多くなるなりといふ。明朝は大いに霜がおりて、寒うござりますぞと話しかくるに、なに故ぞと問へば、今日のやうに、どんよりして、東から風がふく時は、明朝は必ず寒きなりといふ。さびしき冬の夕暮、客も一人、船頭も一人。蘆荻、洲に根本まであらはして、枯れながら立てるに、『故壘蕭條蘆荻秋』の句が、場所がら、切に感ぜられぬ。
 上流さして、右岸の堤上を歩す。西天、山の如き一簇の雲を餘して、他の雲は、みな色を生ず。その山
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