戰録』によりて書きしるしぬ。言葉も、そのまゝに取れる所あり。『屍の上の恥辱』の語も、或は『古戰録』の作者より出でたるべけれど、それにしても、作者が當時の武士一般の感情を言ひあらはしたるもの也。
茲に氣の毒なるは、里見の侍大將、正木彈正左衞門也。山角伊豫守と組んで、馬より落ちて、上にはなりたるが、落つる拍子に、右の手を突折りたり。左の手のみにては、どうすることも出來ず。曳々聲を出して押付くる間に、終に下よりつき殺されたるは、如何に殘念なりけむ。
なほ物の哀れをとゞめたるは、里見長九郎弘次の身の上也。『鴻臺後記』に據るに、月毛の馬に乘り、母衣かけて、ひとり落ちゆきしに、松田左京進康吉、追ひつき、剛の者なれば、難なく組みふせ、首かゝむとして躊躇す。弘次は、里見一門の大將也。その首をとらば、非常なる手柄也。左京進は、何故に躊躇したるぞ。あゝ他なし。弘次は、大將は大將なれど、これが初陣にして、年わづかに十五、紅顏花をあざむくばかりの美少年也。強敵をえらぶ習ひの武士、しかも物のあはれを知るの武士、いづくんぞ赤子の腕をねぢるに忍びんや。助けばやとは思へど、味方も多く進み來りぬ。われ助くるとも、他
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