綱成は、敵のうしろへ廻らむとの奇策をすゝむ。氏康、大いに喜び、氏政をさし副へぬ。松田もその中に在り。この一軍、上流の迦羅鳴起の渡をわたる。今の松戸附近也。晩に及びて、雨ふり、風寒し。皷躁して、敵の不意を襲ふ。氏康の軍、それと知りて、攻め上る。さすがに猛き義弘も、三樂齋も、前後に敵をうけて、終に大いに敗れぬ。
 義弘の馬は、敵の矢に斃れたり。今はこれ迄と覺悟しけるに、安西伊豫守、馳せよりて、馬より下り、義弘に乘らしめて、ひとり留まりて討死せり。かくて、義弘は、わづかに身を免れたる也。
 三樂齋もいたく傷を負ひたり。清水太郎左衞門の子、又太郎に組みふせらる。又太郎、首かゝむとて、かき得ず。三樂齋いらつて、其方は、うろたへたるか、わが首には、咽輪あり。ゆるめて掻けといふ。いみじくも指南せられたり。あつぱれ剛なる最期の際、感じ入る。さらばとて、咽輪をおしのけむとする處へ、舍人孫四郎、野本與次郎の兩人來りて、又太郎を引倒し、三樂齋に首をとらせぬ。かくて、三樂齋も漸く免るゝことを得たる也。張本人の新六郎も、創は負ひたれど、奮鬪して、のがれ去れり。
 これ實に永祿六年正月八日の事也。余は、『關八州古
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