て舟を漕ぐ。上流に溯る。月は白く、風は清し。四面蒼茫として、往きかふ舟も無し。櫓の聲、舟の水を切る音、天地の寂寞を破りて、美人の顏のみぞ光る。さしつさゝれつ、ます/\醉へり。
 荒川と綾瀬川と相合する處、蘆荻しげれり。舟をその蘆荻の中にとゞめ、舟夫をも呼びて、杯をめぐらす。美人、十七八。下ぶくれの愛くるしき顏なり。月下に酌する手、雪より白し。われには既に妻あり。瑞村には未だ無し。月下の氷人とならむかと云へば、赤らめたる顏を袖にうづむ。青々たる蘆荻は、自然の屏風、四顧たゞ月を見る。凉風醉面を吹いて、快言ふべからず。且つ飮み且つ語り、興酣にして、惜しや一樽の酒既に盡きたり。
 香峰の家に歸りて、また飮む。いつの間にか醉倒しけむ。曉にいたりて、漸く醒む。瑞村はと問へば、昨夜歸りたり。明日の午後は、ひまなり、今日の碁の復讐をなさむとす、俗塵を離れたる上野の茶亭に會合したし、傳語してくれよとの事なりといふ。われ碁を好むこと、食色よりも甚し。されば大に鋭氣を養ひおかむとて、また眠る。さむれば、午を過ぎたり。香峰と共に往く。瑞村既に在り。碁を圍みて晩に至る。瑞村、晩食しにゆかずやといふまゝに、諾して
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング