でかかえるようにさすりながら、声を改めて、
「時坊《ときぼう》は、大きくなったろうな?」
「そりゃお前さん……だが、いったい誰に狙われてるんだよ」
しかし安吉は、それには答えもしないで、
「ああ時坊に逢わしてくれ。おれは、むしょうに子供に逢いたいんだ」と再びおびえたように辺りを見廻し、「家へはとても帰れない。ここに隠れてるから、ここまで、子供を連れて来てくれんか。それから、一緒に逃げてくれ」
妻が言葉も継げずに、呆気《あっけ》にとられてためらっていると、安吉はかぶせるように続けた。
「とてつもない、恐ろしい陰謀なんだ。おれはもう、海を見るのさえ恐ろしくなった。……こうしてるのも、やりきれん。おい、早く逃げ仕度をして、時坊を連れて来てくれ。わけは、それからゆっくり話す」
北海丸と一緒に海の底へ沈み込んで、死んでしまったと思われていた夫の安吉が、全く不意に帰って来た。そして、どこをどんなにして一年を過して来たのか、何者かを激しく恐れながら、子供を連れて一緒に逃げてくれと云う。驚きと喜びと、不安の一度に押寄せた思いで、たった今まで沈滞した諦めの中に暮していた女は、激しい動揺とためらいに
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