突落されたのだった。
 けれども、やがて女は決心したように夫の側《そば》を離れると、云われるままに町外れの、小さな二階借の自宅へ引返して来た。そして半ば夢見るような気持で、まだろくに歩けもしない子供を背負ったり、いつも子供を預って貰う階下《した》の小母《おば》さんに、それとない別れを告げたりするうちに、少しずつ事態が呑み込めるようになって来た。
 いままでは、まるで家庭など眼中になく、勝手放題に振舞っていた強がり屋の安吉が、どんな恐ろしい目に合ったのか、突然帰って来ると妻子を連れて逃げ出そうと云う。そこには、よくよくの事情があるに違いない。沈没船から生帰って来たと云うだけでも、それはもう大きな秘密だ。――考えるにつれて、女には夫の立場が異様に切迫したものに思われて来て、身の廻りの品を纏めると、そのままそそくさと霧の波止場へ急いだ。
 歩きながらも、安吉を包む秘密への不審と不安は、追々《おいおい》高まって、安吉の云った「とてつもない恐ろしい陰謀」が影もなく浮上ったかと思うと、丸辰の「鯨の祟り」が思い出されたりして、それらが一緒になって、今度は今のままの安吉の体へ、直接の不安を覚えるように
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