白くボヤけた向うの街燈の下を抜けて、倉庫の角を波止場の方へ折曲って行った男の影を見た。
「私の勝手にさしといておくれよ」
 女は、雪崩《なだれ》出ようとする男達を振切って、そのままバタバタと影の男を追い出した。
 倉庫の蔭を曲ると、乳色の海霧《ガス》が、磯の香《か》を乗せて激しく吹きつけて来た。男はなおも歩き続けた。幾つかの角を曲って、漁船の波止場に近い鰊《にしん》倉庫の横まで来ると、男はやっと立止って、臆病そうに辺りを見廻し、黙って馳け寄って来た女の方へ振返った。
 それは幽霊でも何でもない、正真正銘の小森安吉だった。霧に濡れてかそれとも潮をかぶったのか、全身濡れ鼠になっていた。女は躍りかかるようにして、抱きついて行った。
 けれども生き帰って来た安吉は、以前の安吉とはまるでガラッと変っていた。短い間にも、女には直ぐにそれがわかった。
「おれが帰って来たことは、誰にも云ってくれるな」
 とにかく落付かないから家《うち》へ這入ろう――女はそう云ってすすめるのだが、安吉は、再び辺りをきょろきょろと見廻して、
「ダメダメ、おれは狙われてるんだ。家なんか、帰れるものか」
 そして妻の肩を両手
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